バブーフ,サン=シモン,プルードンの思想哲学:ユートピア思想と共産主義
ユートピア思想の歴史では、16世紀のトマス・モアやカンパネラを経由して、18世紀の『最後の恋』のレチフ・ド・ラブルトンヌ、共産主義思想(私有財産廃止と完全平等の理想)の先駆けとなる『バブーフの陰謀』のフランソワ・ノエル・バブーフ(Francois Noel Babeuf,1760-1797)へと接続していった。
トマス・モア『ユートピア』による理想的・宗教的な世界観:近代ユートピア思想の原点
バブーフの後には、土地・生産手段を公有化するアソシアシオン(協同体)建設の『空想的社会主義』で知られるフランソワ・マリー・シャルル・フーリエ(Francois Marie Charles Fourier、1772-1837)が出た。フーリエは『社会的・動物的・有機的・物質的な四運動の理論』を前提にして、社会運動において物理世界におけるニュートンの万有引力の法則に相当するという『情念引力の理論』を提唱したが、これらは科学的根拠や検証方法がないという意味でも空想的社会主義に該当する概念であった。
アンリ・ド・サン=シモン(Claude Henri de Rouvroy,Comte de Saint-Simon,1760-1825)も空想的社会主義の思想家に分類されているが、社会の重要な任務は富の生産活動の促進にあるとして、資本家・労働者の産業階級を貴族・僧侶より重視する産業資本主義のリアリズムの視点を導入するなど先見の明のある思想家でもあった。
産業資本主義の発展を見据えて『テクノクラート(技術官僚)の予言者』と呼ばれたサン=シモンは『50人の物理学者・科学者・技師・勤労者・船主・商人・職工の不慮の死は取り返しがつかないが、50人の王子・廷臣・大臣・高位の僧侶の空位は容易に満たすことができる』という貴族・僧侶を侮辱する発言をして、1819年に告訴されたりもしている。
ユートピア思想の系譜には、カール・マルクスの論敵であり、『無政府主義の父』と呼ばれたピエール・ジョセフ・プルードン(Pierre Joseph Proudhon,1809-1865)も名を連ねている。プルードンの代表作には『所有とは何か(1840年)』『人類における秩序の創造(1843年)』『貧困の哲学――経済的諸矛盾の体系(1846年)』の三部作がある。
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