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2016年07月26日

[セルジュ・モスコヴィッシ(Serge Moscovici)の『群衆の時代』と自由論:西欧的デモクラシー(民主主義)と専制主義]

セルジュ・モスコヴィッシ(Serge Moscovici)の『群衆の時代』と自由論:西欧的デモクラシー(民主主義)と専制主義

基本的人権の尊重や結果の一定の平等(財の再配分)を導こうとする『政治権力による自由=積極的自由』は、時に集団全体の目的や利益のために『個人の自由の剥奪・制限』を引き起こすことがある。つまり、積極的自由という言葉とは裏腹に、『不自由な専制主義・抑圧体制』を正当化してしまうリスクを併せ持っているのである。

人間の労働による自己形成と労働からの解放2:AI(人工知能)によるシンギュラリティーへの到達

ルーマニア出身のフランスの社会心理学者であるセルジュ・モスコヴィッシ(Serge Moscovici, 1925-2014)は、著書『群衆の時代』の中で、西欧的デモクラシー(民主主義)が西欧的専制主義に転換する危険性について指摘している。

理性的な自由でもある『積極的自由(権力による自由や権利の実現)』は、個人を抑圧する不自由(正しい全体主義的な政策に個人を従属させる)へと容易に転換する。それと同じように、『選挙の多数決』を意思決定原理として採用するデモクラシー(民主主義)もまた、群衆の感情・利害の対立によって反対者(秩序紊乱の同意しない者)を黙らせるための専制主義へと堕落してしまう危険性を内包しているとモスコヴィッシは語る。

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[人間の労働による自己形成と労働からの解放2:AI(人工知能)によるシンギュラリティーへの到達]

人間の労働による自己形成と労働からの解放2:AI(人工知能)によるシンギュラリティーへの到達

消費主義文明が主流となった近代社会では、人々の自意識も『生産者・労働者』より『消費者・享受者』に傾きやすくなり、労働そのものも経済合理的にリストラされたり、自尊心や動機づけ(モチベーション)を保ちにくいような『労働の商品化・道具化(企業利益を最優先する非正規化・細分化)』が行われやすくなっている。

人間の労働による自己形成と労働からの解放1:消費主義文明

20世紀以前の『労働(職業)』は、個人と人類の『役割分担・自己形成・自己実現=労働道徳の実践』という重要な役割を半ば必然的な義務として担ってきたわけだが、『労働の商品化・道具化・非正規化』『非労働者階層の増加(資産家・経営者・投資家・ノマドワーカー・ニートなど)』は旧来的な人間にとっての労働の位置づけを大きく変える動きを見せている。

アメリカの発明家・フューチャリスト(未来思想家)のレイ・カーツワイル(Ray Kurzweil, 1948-)は、人工知能が人間の知能・能力を超える時点を『シンギュラリティー(技術的特異点)』と呼んでいて、カーツワイルはシンギュラリティーが2045年に起こると予測している。シンギュラリティーに到達して『AI(人工知能)・ロボット』が自己組織化的な進化を継続するようになると、人間の労働機会が大きく損なわれる可能性も指摘されている。

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[人間の労働による自己形成と労働からの解放1:消費主義文明]

人間の労働による自己形成と労働からの解放1:消費主義文明

人類が近代的あるいは科学的な文明社会を構築する前の時代には、『人間の自由』を侵害する大きな脅威として、政治や国家(国王)の権力があったわけだが、それ以上に『自然』こそが人間の自由を阻害する大きな壁であった。

人間にとっての過酷な自然は、まず何もしなければ『飢え(食料の不足)』をもたらすのであり、人間はほとんど必然的に『労働の義務(食糧生産のための労働の義務)』に従うしかなかった。自然と対峙しながら農業・土木建築を中心とする肉体労働を原動力として何とか生き残ってきたのである。

アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)の自由論:消極的自由と積極的自由

18世紀のイギリスの産業革命に始まった産業経済は初期には、児童・女性も過酷な長時間労働を義務づけるものであったが、市場・投資・貿易の拡大やイノベーション(技術革新)の連続によって経済が成長して所得も増えたため、20世紀後半以降の『自然と対峙する形の肉体労働の負担』は機械化・自動化などによってかなり軽くなってきた。

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[アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)の自由論:消極的自由と積極的自由]

アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)の自由論:消極的自由と積極的自由

政治学の自由主義(リベラリズム)でいう『自由』について、イギリスのオックスフォード大の政治思想家・哲学者のアイザイア・バーリン(Isaiah Berlin, 1909-1997)は、『消極的自由(negative liberty)』『積極的自由(positive liberty)』を分類して定義した。

『消極的自由(negative liberty)』というのは『政治権力からの自由』であり、自分の意志・希望・価値観に逆らって何かをしろと強制されたり拘束されたりしない自由のことである。消極的自由は一般的に自由と呼ばれる観念が指し示している『自分の思いのままに行動できるということ(誰かにああしろこうしろと指示命令されないこと)』にかなり近い。

『積極的自由(positive liberty)』というのは『政治権力による自由』であり、生存権をはじめとする基本的人権を政治権力や法の支配によって守ってもらったり実現してもらったりすることである。権力や他者に何かを無理やり強制されないという消極的自由だけがあっても、貧困・病弱・無力な個人にとってはその自由の使い道がなくて無意味であるということから、政治権力が『徴税・社会保障制度(社会福祉制度)・安全保障制度』などを介して個人が結果としての自由を得られるようにバックアップするというわけである。

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2016年07月15日

[老年期における高齢者の性格傾向の特徴と変化:自己中心性の脱却と後続世代の指導・育成]

老年期における高齢者の性格傾向の特徴と変化:自己中心性の脱却と後続世代の指導・育成

老年期心理学において、老年期の一般的な性格特徴として上げられているものには以下のようなものがある。

1.保守性……新しいものを受け入れにくくなり変化を嫌う。現状維持や昔ながらのものを好む保守的な価値観が強くなる。

2.諦め(諦観)……今更、何を努力しても大きくは改善しないという諦め。もう自分は高齢だからダメだといった諦めの感覚が強くなる。

3.義理堅さ……恩義を受けたらそれを返さなければならない、良くしてもらった人には何かお礼がしたいという義理堅さが強まりやすい。

4.活動性・行動力の減退……何かしたくても活動性が高まらず、実際的な行動を起こしにくくなる。

5.不潔・不精……身の回りにあまりこだわらなくなり風呂・シャワーも好まなくなり、不潔になりがちとなる。身奇麗にしない不精が目立ち、身だしなみや服装を整えるのが億劫になる。

6.興味関心の低下……それまで好きだったものにも興味が起きにくくなる。何事にも新たな関心を抱きにくくなる。

7.不安・不平不満……日常生活や老後の人生に漠然とした不安を抱く。日常生活や対人関係における不平不満が増えやすい。

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[老年期の心身の機能の個人差:高齢者の獲得が期待される『叡智・配慮・受容』]

老年期の心身の機能の個人差:高齢者の獲得が期待される『叡智・配慮・受容』

知的水準にしても興味・意欲・責任にしても、高齢者の能力的な個人差は非常に大きなものになる。同じ高齢者でも早期に認知症のような症状を呈したりすっかり身体的に弱ってしまう人もいれば、80歳、90歳になっても自分の現状で可能な執筆・芸術・言論などの活動を精力的に行い続けるような人もいて、『何歳だからこのような心身の状態になる(老年期だからすべてが衰退して弱っていく)』とは一概に断定できないものなのである。

高齢者の自己の年齢認識(老い否認)とレオポルド・ベラックのSAT(Senior Apperception Technique)

その意味では、老年期はある人にとっては『衰退・下降の絶望的な段階』かもしれないが、ある人にとっては『老熟・完成の意義ある段階』にもなるという希望を孕んでいると言えるだろう。超高齢化社会が進展していく現代において、老年期心理学・生涯発達心理学の目的は、高齢者に固有の人生経験・人間関係の学びの豊かさを活かして『叡智・配慮・受容』へと結び付けていくことであり、『自分に可能な社会的・関係的・情緒的な役割』をできる範囲で果たせるようにしていくことである。

老年期心理学・生涯発達心理学において『老年期固有の高度な発達課題・老年期の生きる意味や目的』が模索されている一方で、老年期精神医学の現実として70〜80代以上のかなりの割合の人に起こってくる『認知症・ロコモティブシンドローム(歩行障害)・寝たきり』が介護も含めた大きな社会問題になってきている。重症の認知症では、興奮・錯乱・幻覚・妄想などの精神症状と関係した暴言・暴力によって家族間での介護が困難あるいは不可能になることも多い。

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[高齢者の自己の年齢認識(老い否認)とレオポルド・ベラックのSAT(Senior Apperception Technique)]

高齢者の自己の年齢認識(老い否認)とレオポルド・ベラックのSAT(Senior Apperception Technique)

アメリカの心理学者・精神医学者のレオポルド・ベラック(L.Bellak)は、近づきすぎると相手を傷つけ遠くなりすぎると寂しいと感じる『ヤマアラシのジレンマ』を提唱した人物として知られている。

L.ベラックとその妻は投影法の心理テストである『TAT(主題統覚検査:Thematic Apperception Test)』を改変した老年認知テストの『SAT(Senior Apperception Technique)』を1973年に作成している。このベラック夫妻が作ったSATは、被検者が自分の老いをどのように認知してどのような態度・行動を取っているのかを調査するものである。

高齢者の愛・欲望への執着とジークムント・フロイトの『リア王』の精神分析:2

人間は一般的に自分の老いに対しては『抵抗・否認』の自我防衛機制の反応を返しやすいものであるが、自分が老いを認めたくない高齢者であっても、『自分以外の高齢者(老人)』に対しては『客観的な年齢・老いの認知』ができたりもする。他人をあのおじいさん(おばあさん)だとかあの年寄りだとか平気で言っている高齢者が、いざ自分自身のことを『おじいさん・おばあさん・年寄り』だと言われるとどうしても抵抗感や反発心が起こりやすいところはあるのである。

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[高齢者の愛・欲望への執着とジークムント・フロイトの『リア王』の精神分析:2]

高齢者の愛・欲望への執着とジークムント・フロイトの『リア王』の精神分析:2

S.フロイトは老年期の発達課題として『老いと死の受容』『愛と生と欲望の断念』を掲げ、その二つの発達課題の挫折(老年期にあってなお女性からの愛情に執着して絶望するしかない者)としてリア王の物語を取り上げている。

老年期心理学とジークムント・フロイトの『リア王』の精神分析:1

コーデリアの死を受け容れられないことは、自分自身の死を受け容れられないことでもある。信じていた愛想の良い二人の娘に裏切られたリア王は狂気に冒されたが、その時にも『コーデリアと二人だけで籠の中の小鳥になって祈り歌いたい・牢屋の中でもいいから二人で長生きしたい』という老醜と執念に塗れた夢想をしていたのである。

リア王の前に獄中の死体となって現れたコーデリアは『不可避の死・運命としての死』であり、『愛を断念して死を受け容れよ(人はすべて必ず老いて死ぬ)』という人類共通の運命を伝えるメッセージとしての役割を果たしている。老いてなお生の欲望や異性の愛に執着してすがりついていけば、必然的に『老醜・未練がましい姿』を晒すしかないということになる。

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[老年期心理学とジークムント・フロイトの『リア王』の精神分析:1]

老年期心理学とジークムント・フロイトの『リア王』の精神分析:1

『老年期』は生涯発達心理学の発達段階における最終ステージであり、その発達課題は『人生全体の統合』とされるが、その統合・受容に失敗すると老年期は『絶望・無力感』に覆われてしまう。老年期は自分自身の人格を円熟させて人生の統合と受容を成し遂げるべき発達段階であり、『死』を遠からず現実に到来するものとして見据えながら、『叡智』の獲得を目指すものとされている。

しかし、生身の人間が生きる実際の老年期では『人生の統合・死の受容・叡智の獲得』といった理想的な老年期の発達課題の達成や心的状態の実現はかなり難しいものでもある。そのため、少なからぬ老齢期の高齢者は自分自身の身体・精神の衰え(心身の病気)に苦しみ嘆いたり、現実の人生のあゆみや孤独を感じる境遇に納得できずに『絶望感・無力感』に苛まれたりもする。

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