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2008年09月09日

[地方自治の歴史と中央集権的な近代国家]

地方自治の歴史と中央集権的な近代国家

2001年の小泉純一郎政権で提議された『三位一体の改革(聖域なき構造改革の一つ)』とは、『国庫補助負担金の廃止・縮減・税財源の移譲・地方交付税の見直し』の3点を基軸にして地方分権を推進しようとする政策案だったが、福田首相が突然の辞任をした2008年現在においても財政再建・地方の自立の観点から地方分権は大きな課題として残っている。『地方分権の推進』とは即ち『地方自治の強化』であり、地方自治とは中央集権国家における地方公共団体(地方自治体)の財政的・行政的な自治体制の整備のことである。

絶対王政や市民革命を経た近代統一国家の基本原理は、中央政府が全国の地方自治体に『補助金・地方交付税』といったインセンティブを与えて、それと引き換えに国家レベルの『政策的な計画・指示』に従わせるという『中央集権体制』である。近代国家が成立する以前の『古代・中世・近世の社会』には、厳密な意味での『地方自治』の問題は存在せず、古代の氏族社会では血縁共同体や都市国家によって政治が運営され、中世の封建主義社会では『地方の領主権』は『中央の王権』から独立していた。政治権力が国家単位で統一された近代国家の登場によって、官僚機構を備えた『中央集権的な統治システム』が一般的なものになり、地方都市(地方社会)は中央政府に財政的にも権限的にも従属するようになってしまった。

また、貨幣単位が統一され経済取引が地方社会を超えて活発化する『資本主義経済の発達』によって、各地方社会に特有の『文化・伝統・慣習・風俗』は急速に衰退し、近代国家的な文化的・規範的同質性が高まっていった。ヨーロッパ世界の古代ギリシア・古代ローマの社会には、『ポリス(都市国家)』といった自然発生的な地方都市が存在しており、共同体的な性格と自立的な政治機構を兼ね備えていたので、中央政府が地方共同体を全面的に支配するという政治形態は殆ど見られなかった。イタリア半島を起点としてヨーロッパ全域・北アフリカ・シリア・中東にまで領土を拡大した古代ローマ帝国でさえも、各地の地方政権を『属州(大幅な自治権を承認した属州)』に認定して全体を緩やかに統治しているだけであり、各地方政権の伝統文化や統治手法に中央集権的な統制を及ぼすことは殆ど出来なかったのである。

中世ヨーロッパの封建社会では、地方領主(貴族階級)やローマ・カトリック(僧侶階級)に強大な行政・司法・徴税(土地支配)の権限が認められており、国王・中央政府の統制が地方社会(地方の領主権)に及ぶことがなかった。国家(中央政府)による地方の統制が強化されるのは、18世紀に専制主義的な絶対王政が発達してからであり、地方政体(貴族の領主権)の独立的な権限・財政が奪われるのは市民革命を経て、国民国家の政治体制が整備されてからのことである。

統一的な近代国家と官僚機構が整備されると、それまで一定の権力と財政力を持っていた地方社会・地方政権は、近代的国民国家の行政単位(構成単位)へと変質して地方自治権は大幅に削減されることになった。日本でも徳川幕府の江戸時代には『幕藩体制』によって、大幅な地方自治が認められており、地方政治は『藩(はん)』という幕府から独立した権力機構によって運営されていたのである。王政復古を掲げた薩長同盟による『鳥羽伏見の戦いでの勝利』と『倒幕運動の成功』により、徳川将軍家が盟主となる地方分権的な幕藩体制は崩壊し、明治維新と文明開化(脱亜入欧)による中央集権国家が再構築されることになった。

国家の資源(リソース)と労働力を集約的に活用して『国力・防衛力』を高めるためには『中央集権体制』のほうが適しており、19世紀後半の帝国主義による侵略が盛んな国際情勢の中で、各国は積極的に地方分権を縮小して中央集権を強化することになった。立憲君主国を標榜する近代日本が掲げた富国強兵や殖産興業、国家総動員といったスローガンも、そういった帝国主義の世界情勢や近代化の要請と密接に関わっており、官僚機構を整備した中央集権体制が全体主義的なナショナリズムと融合することで戦時体制が準備されることになった。



posted by ESDV Words Labo at 23:46 | TrackBack(0) | ち:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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