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2008年12月22日

[オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』と近代的な大衆社会観]

オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』と近代的な大衆社会観

近代国家における大衆社会の階層分化について[知識人階級(インテリゲンチャ)と大衆社会]で説明し、自己と他者の社会経済的活動を画一化する『大衆社会』を加速度的に促進したマスメディアについて[大衆文化とマスメディア・マスコミュニケーション]で考えてみた。一般的に、『大衆』と呼ばれる人間集団は『王侯・貴族・資産家・権力者・知識人』などと区別されるが、『大衆社会』とは個人間の価値観(精神活動)やライフスタイルの差異が縮小していく社会のことであり、身分制度が廃絶されており給与所得者であるサラリーマンが人口の大半を占める現代社会は必然的に大衆社会へと行き着く構造を持っている。

個人が意見や知識を発信するインターネットが普及して、社会から中心的な価値観(強制的な規範性)が失われた現代日本のような社会は、『ライフスタイル・価値観の多様性』が担保されているという意味では従来的な大衆社会ではないのではないかという解釈もある。大衆社会を『個人間の属性の差異』が縮小していく社会であると定義すれば、確かに現代の先進国の自由主義的な社会は大衆社会ではないという見方もできるが、マスメディアやインターネットの発達によって『メディア情報+検索情報が消費生活を規定するという側面』が強化されており、現代社会は消費文明社会と大衆社会のアマルガムとして認識することができる。

現代社会は『大衆消費社会』であると同時に『大衆情報化社会』であり、『生産活動(仕事)・消費活動(商品と娯楽)・コミュニケーション(言語)』によって自己アイデンティティが規定されるという仕組みを持っており、その大衆的な自己アイデンティティの記号性の枠組みから誰も抜け出すことができないようになっている。

哲学史・現代思想の文脈でも大衆社会(大衆文化)を考察した理論仮説は数多くあるが、ナチズムを経験したハンナ・アーレント(1906-1975)は第一次世界大戦による伝統的な既成秩序や共同体原理の破壊が『大衆の無力感・絶望感』を強化したといい、ナチズムのような全体主義(ファシズム)と感情的・無目的的な大衆社会との必然的な結合を憂慮した。

社会学者のカール・マンハイムや精神分析家のエーリッヒ・フロムも、『大衆社会・群集心理』と『ファシズム(全体主義)の非合理的な激情』との因果関係についてそれぞれ異なる観点から考察した。エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走(1941年)』の著作において、将来を悲観する大衆が『現実の不安感・無力感(孤立感)』から逃避しようとする無意識的願望を抱くことでファシズムに陥りやすくなると考えた。即ち、自分の生活や未来に対する自己責任を背負いきれなくなった大衆(民主社会の有権者層)が、『自由な選択や権利』を自発的に放棄して『権威への従属(権力者の支持)』を志向するというファシズムの心理的メカニズムを構想したのである。

表題にはオルテガ・イ・ガセット(1883-1955)の名前を挙げたが、オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆(1930)』は人口論と画一化願望に依拠したものであり、ハンナ・アーレントやエーリッヒ・フロムの『大衆の無力感・孤立感』を基盤に置いた大衆社会観とは異なっている。

オルテガ・イ・ガセットは保守的な自由主義者で、個人の自由や権利を専制的に抑圧する共産主義・マルクス主義を強く批判しており、人類社会を普遍的に大衆化させようとする共産主義を『野蛮・未開への後退を促進する原始主義』として指弾していた。オルテガの大衆の定義は『本能的欲求のみに従属して自律的倫理を持たない人間・依存的な権利を主張して高貴な義務を果たす資質に欠けた人間』という極めて否定的な定義であるが、『大衆の反逆』もそうした人類社会の大衆化の危機に警鐘を鳴らすといった性格を持っている。

オルテガ・イ・ガセットは、『大衆』と『労働者(生産者階層)』とは全く異なる存在であるとして、その人が大衆であるか否かはその精神的態度によって規定されると主張した。オルテガは『大衆の本質』『模倣・依存・無責任』といった『主体としての自己(個性)の放棄』にあると喝破して、『自分自身であること』よりも『他者と同一(画一)であること』を模倣・同調(協調)によって求める人間の類型を大衆と呼んだのである。ミシェル・フーコーの権力論を紐解くまでもなく、近代社会の学校教育は一般社会の規範や役割を内面化する『規律訓練型システム』としての特徴を持つので、『他者(社会規範)を模倣する大衆』以外の何ものかになることは極めて難しいことである。

『孤独な群衆(1950年)』の著作を書いたデイビッド・リースマンも、『他人志向型』の性格類型と大衆社会との親和性を指摘している。他人指向型(other-directed)とは、『社会の中心的価値観(支配的な道徳)』よりも『他者の期待(欲求)』に従って行動を選択する同調性の高い性格類型のことであり、近代的な大衆社会は他人から自分がどう見られているのかを意識する『世間体(虚栄心・体裁)』によって形成される側面が非常に強くなっている。『世間体』とは言い換えれば、自らが他人と同じ中流階層であることをアイデンティファイするための建前であり、世間一般の平均的な所得階層やライフスタイルから外れることの恐怖でもある。



posted by ESDV Words Labo at 23:26 | TrackBack(0) | た:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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