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2009年01月16日

[フリードリヒ・ニーチェの『力への意志(ルサンチマン)』と超人思想]

フリードリヒ・ニーチェの『力への意志(ルサンチマン)』と超人思想

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche, 1844-1900)は、『神の死』を宣告してニヒリズムの到来と超克を説いた実存主義の先駆者として知られている。形而上学的な真理やキリスト教的な道徳(善悪)を破壊するフリードリヒ・ニーチェの哲学は『生の哲学』と呼ばれることもあるが、生の哲学を生成する人間の根本的な動因が『力への意志(権力への意志)』である。『力への意志』という概念がニーチェの著作で初めて使われるのは、『ツァラトゥストラはかく語りき(ツァラトゥストラはこう言った)』の第二部『自己超克について』の部分である。

ニーチェは既存の世界観や社会規範(カトリックの宗教規範)と人間存在を照らし合わせて、人間存在の序列を『超人・獅子・ラクダ』の3つに分類している。『ラクダ』とは既存社会の価値観やルールに盲目的に従属して適応するしかない人々のことであり、『獅子』とはラクダを統率できる既存社会の価値観の管理者(アドミニストレーター)のことであるが、ニーチェはラクダと獅子よりも更に高等で優秀な存在として『超人』を提示した。ニーチェの思想は『超人思想』と呼ばれることがあるように、既存の価値や社会・宗教のフレームワークに囚われずニヒリズムを超克できる『超人』を志向する思想である。

あらゆる人間には、この世界において他者に優越して自己存在を全的に肯定しようとする『力への意志』が備わっているが、大多数の人間は『自己の弱さ・劣等性』によって力への意志を断念せざるを得なくなり獅子やラクダとしての人生を生きることになる。『力への意志』を持ち続けその意志を現実世界において実現する人間が『超人』であり、超人は『現実的・物理的・精神的な強さ』によって道徳や観念に頼らずに全的に自己を肯定することができる。ニーチェは『力への意志』を抑圧することで生み出される、弱者(貧者)が強者(富者)よりも道徳的に善であるとするキリスト教的な価値観を『奴隷道徳』と呼んで否定した。

しかし、ニーチェが批判する奴隷道徳さえも、実際には力がない弱者が強者に倫理的に打ち勝とうとする『力への意志』の現れであり、現実社会における強者(富者)も弱者(貧者)もそれぞれの形で『力への意志』を発動しているのである。中世キリスト教世界では現実的な弱者である『聖職者階級(カトリックの僧侶)』が道徳的説教を用いて『価値の転倒』を行い、『強さ・美しさ・高貴さ・豊かさの価値』を『弱さ・醜さ・賤しさ・貧しさの価値』よりも低いように見せかけたのである。

キリスト教的な弱者(貧者)を強者(富者)に優越させる奴隷道徳は、弱者の強者に対する怨恨・嫉妬である『ルサンチマン』によって生み出されており、ルサンチマンもまた力への意志の変奏なのである。そして、ニーチェの仮定した『超人』とは、ルサンチマンを超越した究極的な来たるべき未来の人類の理想像なのである。

愛と寛容を説くキリスト教教義は、個人の自由と平等を説く近代思想へと発展していったが、それらの思想は『弱者の自己保存と道徳的優越』を志向する力への意志(ルサンチマン)によって生み出されている。物理的な『現象(現実)』の背後に普遍的・永続的な『イデア(元型)』を見出す古代ギリシアのプラトンのイデア思想が、『もう一つの現実(背後世界)』を想定するあらゆる思想の元型となっている。ニーチェは古代ギリシアのイデア思想やキリスト教的な道徳規範を否定して、普遍的な価値・規範の源泉であった神をも消滅させて『神の死』を宣告した。

あらゆる既存の価値観や正しさの基準が消滅するニヒリスティックな虚無の世界において、ニーチェは永劫回帰(無限に今の生が繰り返されるという前提)に耐えて『我、然り(しかり)』と自分の人生を全肯定できる『超人』を要請したのである。神・真理・天国・正義といった『観念的・幻想的な価値』を排除したシビアな世界観はニヒリズムを呼び起こすが、神が死んだニヒリズムの地平に新たな人間存在の可能性を打ち立てたところにニーチェ哲学の真髄がある。ルサンチマンを含む『力への意志』のフレームワークは、ジャック・ラカン『脱構築(deconstruction)』へとつながる既存概念の批判的解体の要素を併せ持っている。



posted by ESDV Words Labo at 07:37 | TrackBack(0) | ち:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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