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2009年01月22日

[エドワード・シルズとヴィクター・ターナーの『中心と周縁』]

エドワード・シルズとヴィクター・ターナーの『中心と周縁』

エドワード・シルズは20ページ程度の論文『中心と周縁(1961年)』において、社会構造の支配的権威と従属的大衆の関係を示すセントラル・バリュー・システム(central value system)を提起した。セントラル・バリュー・システムは『中心の価値体系』と訳されるが、『聖なる権威=中心』として支配的権威の正統性を説明し、『俗なる大衆=周縁』は中心に従属する下位階層と定義されている。

エドワード・シルズの中心の価値体系では『中心(center:センター)』『周縁(periphery:ぺリフェリー)』は対立的な図式にあり、中心は『支配的権威・上流階層・資本家階級』などを意味し、周縁は『従属的大衆・庶民階層・労働者階級』などを意味している。『象徴と社会』『儀礼の過程』の著作(邦訳書)で知られるイギリスの文化人類学者ヴィクター・ターナー(Victor Witter Turner,1920-1983)は、リミナリティの概念を用いてシルズの中心と周縁の図式に象徴的な意味を与えるきっかけを作った。

ヴィクター・ターナーは、ファン・へネップの『通過儀礼の三段階構造理論(分離期→移行期→再統合期)』を参考にして、社会的身分(社会的属性)が不安定になる移行期の状態を『リミナリティ』と呼んだ。リミナリティとは社会構造のある属性から一時的に分離して、『次の属性』へと再統合されるまでの曖昧な状態であり、不安定であるが故に『隔離・試練・性的倒錯』などの状態に置かれやすくなる。通過儀礼の途中でリミナリティの状態にある人間は、社会構造や社会階層が無効化する平等なコミュニタス(感情・信頼の共同体)に一時的に所属することになるが、このコミュニタスの現象は『社会構造の周縁』において見られることになる。

ターナーの文化人類学や通過儀礼の研究に示唆を受けた日本の山口昌男(1931-)は、『文化と両義性(1975年)』において周縁に象徴的かつ肯定的な意味を付与した。シルズの言う『周縁(ぺリフェリー)』は従属的な大衆や俗なるものという低い価値を付与されていたが、山口昌男は周縁には『俗物性』だけでなく『神聖性』も見出すことができるという両義性を指摘した。社会構造における弱者・劣等者であるが故に『聖性』が宿ることがあるということであるが、経済社会の貧困層やインドのカースト制度におけるアウト・カーストのような『周縁』も母性原理や道徳規範に基づけば精神的価値における『中心』へと転換することがある。

『周縁の両義性』を踏まえた中心と周縁の転倒の可能性は、カール・マルクスの共産主義における階級闘争(労働者階級=周縁による革命)にもつながっていく概念であった。ターナーの言う『構造』とは封建制度(身分制社会)の構造であるが、身分階層を無意味化する『コミュニタス(感情的共同体)』によって、封建主義構造における中心と周縁の転換が起こることがある。しかし、山口昌男の構想する中心と周縁の転換可能性は、非政治的・非経済的な象徴レベルのものであることに注意が必要であり、政治経済的レベルの理論ではエマニュエル・ウォーラーステイン『近代世界システム』を参照する必要がある。

ウォーラーステインは近代世界システムの中で、資本主義経済システムの形成過程において『中枢(コア)・半周縁(セミ・ぺリフェリー)・周縁(ペリフェリー)』の構造を分析している。日本においては江戸時代までは『中心(政治権力)=幕府』と『周縁(宗教権威)=朝廷』の二重権力構造があり一義的な中心を定めることが難しかったが、現代日本の象徴天皇制の元では中央集権体制における政府も『中心』としての求心力を弱めており、地方分権の流れの中で『中心の周縁化』が続いている。



posted by ESDV Words Labo at 21:40 | TrackBack(0) | ち:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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