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2009年01月28日

[ルネ・デカルトとデカルト主義]

ルネ・デカルトとデカルト主義

フランスの哲学者・数学者・自然学者であるルネ・デカルト(Rene Descartes, 1596-1650)は、方法的懐疑という手法によって『知識の基盤・明晰確実な知識』を探求したが、デカルトの客観的知識のモデルは数学・幾何学にあった。方法的懐疑とは『少しでも疑わしい点がある知識』や『幼児期から植えつけられた先入観・偏見・迷信』を排除していく懐疑的思考の方法論であり、ルネ・デカルトはあらゆるものを疑っていった結果として最後に残るのは『自我意識(精神)』であるとした。

方法的懐疑によって、デカルトは身体的な感覚を疑い内部的な感覚を疑い、計算・測定の能力を疑っていき、最後には真理の究極的根拠としての『神』が『悪霊(悪魔)』が化けている姿かもしれないとまで考える。感覚−知覚の情報が間違う可能性を考えると『自分の外にある事物』の『実在』を証明することはできず、『表象(内面にある心像)』『実在(外部にある物質)』とがいつも一致するとは限らないという認識に到達した。『自分の精神』『外部の物質』とは別々の異なるものであるという基本的認識が、デカルトの物心二元論のベースになっている。

1637年の『方法序説』においてデカルトは『我思う、故に我あり(コギト・エルゴ・スム)』という有名な命題を提唱するが、これは自然科学の基盤となる『近代的自我の発見』として理解することができる。デカルトはあらゆる対象・現象の実在性(確からしさ)を徹底的に疑って排除していったが、方法的懐疑を用いても『疑っている自分の精神(自我)』の存在だけは否定して排除することができないという第一原理(明晰な知の基礎づけ)に行き着いた。近代的自我の確実性から、『自己の精神に明晰かつ判明に認知されるところのものは真である』という『明晰判明の規則』が導かれた。

ルネ・デカルトは近代的自我(知に対する理性の有効性)を発見して、精神(主体)と物質(客体)とを区別する二元論を展開した功績から『近代哲学の父』と呼ばれることがある。デカルトは世界を精神と物体(身体)の『物心二元論(心身二元論)』のフレームワークで解釈していたが、物体(身体)の本質は受動的な『延長(三次元空間における座標の延長)』であると考えていた。近代自然科学の基本的な図式である『主体(観察者)と客体(対象)の区別』は、デカルトの近代哲学によって基礎付けられたのである。

デカルトの世界観や哲学思想を継承した学派を『デカルト主義』と呼ぶが、そこに共通する基本的な要素は『物心二元論・自我の実在・機械論的自然観・理性主義』などであり、現代哲学では人間の精神と身体がどのように相関しているかという『心身問題(心脳問題)』などが取り上げられることもある。デカルト主義は西欧的な科学的認識論の原点であり、人間の理性(自我)と論理を活用する仮説演繹法によって『世界の真理(科学的な理論・法則)』に接近できるという科学主義(技術主義)が強化されることになった。

『心身二元論』の問題については、デカルトは脳の松果腺において身体と精神が結びつくと仮定していた。デカルトの非科学的な仮説では松果腺は『精神』によって動かされたり、血液が希薄化された『物質』としての動物精気(esprits animaux)によって動かされたりするのだが、現在では心身問題は脳科学(認知科学)の分野へと吸収されている。デカルトは基本的な情念を『驚き・愛・憎しみ・欲望・喜び・悲しみ』の6つに分類したが、この感情の生起変化の研究も心理学へと移行することになった。デカルトは決定論(神の決定)と自由意志の対立の問題についても示唆したが、デカルト自身は自由意志を正しく用いることによって『高邁』の精神を獲得することができるとした。

デカルト主義は近代哲学や近代科学の原点として理解することができるが、哲学史の文脈ではイギリス経験論と大陸合理論の対立を生んだり、実在するものについての唯物論と観念論の対立を作り出したりもした。ヘーゲル哲学によってデカルト以来の近代哲学は一応の完成を見ることになるが、ポストモダン思想やS.フロイトの精神分析(無意識の決定論による自我の有効性の否定)はデカルトが提起した二元論や自我優位の基本図式を覆そうとする試みでもあった。



posted by ESDV Words Labo at 04:07 | TrackBack(0) | て:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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