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2009年01月28日

[近代国家の帝国主義とレーニンの『帝国主義論』]

近代国家の帝国主義とレーニンの『帝国主義論』

労働者・ボリシェヴィキ・農民・兵士を主体とする『ロシア革命(1917年)』を断行したウラジーミル・レーニン(1870-1924)は、世界初の共産主義革命を成功させた人物である。レーニンはマルクスの史的唯物論のスキーマを応用しながら、帝国主義を資本主義経済体制と結びつけた書物『帝国主義論(1916年)』を書き著した。レーニンの『帝国主義論』では、帝国主義は『資本主義の最高の発展段階』とされ、生産の集中と独占が進んだ資本主義体制は『社会主義革命の準備段階』と見なされていた。

レーニンは第一次世界大戦の引き金となった国家経済体制を分析して、『資本主義』は自由競争(自由貿易)の段階から資本・生産手段の独占の段階へと移行することによってその歴史的役割を終えることになり、歴史的必然として『社会主義・共産主義』の政治経済体制が確立されるとした。資本主義の最高の発展段階に到達したとされる西欧列強の諸国は、『金融資本の投下・投資家の利益・商品の市場』などの要因によって必然的に対外膨張政策を取ることになり『植民地の争奪戦』によって世界戦争のリスクが高まるとした。

レーニンの『帝国主義論』は共産主義革命を倫理的に正当化するために書かれたという側面もあるので、レーニンの帝国主義批判や史的唯物論の応用をそのまま承認することはできない。レーニンは第一次世界大戦を帝国主義戦争と規定して交戦国を非難したが、レーニン率いるボリシェヴィキ(左派勢力)の最終的な政治課題は『対外戦争を内部対立(革命)に転化すること』にあったのであり、世界同時革命のイデオロギーも『階級対立の内乱・国内のゲリラ』を誘発して赤化(共産化)するところに特徴があった。

レーニンにとって植民地支配に向かう帝国主義は資本主義の必然的な宿命であったが、第二次世界大戦以降は『資本主義(自由貿易主義)』と『植民地主義(コロニアリズム)』の直接的な結びつきは断たれており、1991年にはポスト資本主義の発展段階とされた社会主義(共産主義)を標榜したソビエト連邦(ソ連)が崩壊してしまった。近代の帝国主義は19世紀前半のイギリス・フランスの強権的・膨張主義的な外交政策によって始まったが、帝国主義の最大の特徴は軍事力を用いた『外国・異民族の侵略・支配』にある。

帝国主義(imperialism)の原型は古代ローマ帝国やオスマン・トルコ帝国、ナポレオンの帝政などにも見られるが、近代的な帝国主義は『ナショナリズム(愛国心・国民アイデンティティ・民族主義)』『資本主義(市場拡大・金融資本)』に支えられており、英仏が世界各地に植民地を拡大した1880年代から第一次世界大戦の時代までを特に『帝国主義の時代』として区分することもある。広義の帝国主義の時代は、19世紀半ばから日本やドイツ、アメリカ、ロシアも植民地争奪戦に参画した第二次世界大戦までを指すが、第二次世界大戦が終結してから後もポストコロニアリズム(新植民地主義)と呼ばれる帝国主義の流れがあるという指摘もある。

帝国主義の対外膨張政策の目的は『植民地の獲得(外国における領土と権益の拡大)』『市場経済の利益拡大(商品市場の開拓と安価な原材料・労働力)』にあったが、第二次世界大戦が終結すると他の国家や民族を軍事的に侵略して統治するコロニアリズムは経済的には採算が合わないことも明らかになってきた。帝国主義や対外戦争には資本主義の発展段階における『貧富の格差に対する不満(国内の下流階層の不満の蓄積)』をガス抜きするという効果もあったが、大量無数の犠牲者を出した二度の世界大戦によって西欧列強とアメリカ、日本は帝国主義的な思想・政策を放棄することになった。

しかし、ポストコロニアリズム(新植民地主義)の流れでは『軍事的な支配』に代わって『政治的・文化的な支配』が強まり、多国籍企業や国際金融資本による開発途上国の間接的な統治が進んでいるという批判もある。アメリカ・中国・日本・欧州諸国は、開発途上国に対するODAや経済的・技術的支援によって『間接的な影響力』を強めている状況があり、国連における議決ではそういった経済支援による同盟関係によって投票が各陣営に分かれることも少なくない。



posted by ESDV Words Labo at 05:28 | TrackBack(0) | て:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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