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2009年07月13日

[ドイツ革命(ドイツ11月革命)の挫折とワイマール共和国の誕生:1]

ドイツ革命(ドイツ11月革命)の挫折とワイマール共和国の誕生:1

1918年11月に勃発した『ドイツ革命(ドイツ11月革命)』は、労働者・兵士の大衆蜂起によってヴィルヘルム2世の『ドイツ第二帝政』を終わらせ、共和政の『ワイマール体制』を確立させる契機となった革命である。労兵レーテ主導の社会主義政権を目指す『スパルタクス団の武装蜂起』が鎮圧されたことで、社会主義革命としてのドイツ11月革命は失敗に終わった。しかし、ドイツの第二帝政を終焉させて、ドイツを共和政に転換させたという歴史的意義は大きい。

第一次世界大戦に参戦したドイツ皇帝(カイザー)のヴィルヘルム2世(1859-1941)は、このドイツ革命によってオランダに亡命して退位した。ドイツ革命のトリガーとなったのは、ドイツとフランスが戦った『第一次世界大戦』における国民生活の窮乏と軍部への不満であり、フランス包囲・侵攻作戦である『シュリーフェン・プラン』が挫折したことでドイツの敗戦色は濃厚となった。

フランスとの戦況が悪化する中で、ドイツの軍部は更に独裁傾向を強めて『総動員体制』を敷こうとするが、戦争の徴兵・徴発で生活が窮乏して食べる物にさえ困っていた国民・労働者は、次第に『軍部への反発・平和(停戦)への要求』を強めていく。1917年10月に発生したレーニン率いる『ロシア革命』の影響を受けて、ドイツでも労働者・貧困層のストライキやデモ、暴動が盛んに起こるようになっており政治情勢は混迷の度合いを深めていた。

ドイツで労働者の『プロレタリア革命(共産主義革命)』が起こることを恐れた参謀本部次長・ルーデンドルフは、自由主義者のマックス・フォン・バーデン公を首相に据えて、ドイツ最大の労働者政党である『社会民主党(SPD)』にいったん政権を移譲した。

しかし、軍部が連合国の提示した『無条件降伏・皇帝の退位』の条件を呑まずに停戦交渉は難航し、国民の不満と困窮は更に高まっていき、遂に1918年11月にキール軍港で水兵が反乱を起こしてドイツ革命が勃発した。1918年10月29日に、ヴィルヘルムスハーフェン港でドイツ大洋艦隊の水兵が、ドイツ海軍司令部が出したイギリスに対する『特攻作戦(水兵の自己犠牲によって突撃する作戦)』の出撃命令を拒絶したことが革命の始まりだったとも言えるが、中央にある軍司令部の指揮命令系統に末端の兵士が従わなくなったのである。

11月3日には、キール軍港の水兵・兵士・労働者が軍部の方針(特攻作戦)に反対する大規模なデモ行進を行ったが、官憲がこのデモ行進に向けて発砲したことで、激昂した水兵・労働者が武装蜂起することになる。11月4日に、労働者・兵士レーテ(労兵評議会)が結成されることになり、4万人の水兵・兵士・労働者によってキールの市と港湾が支配されることになった。

11月8日頃に、ベルリンやハンブルクといった大都市でも労兵レーテが結成されて市庁舎と主要施設が制圧されていった。この水兵・兵士・労働者が中心となって起こした体制・軍部に対する武装放棄が『ドイツ革命(ドイツ11月革命)』であるが、ドイツ革命は社会民主党が指導するレーテ運動(労兵レーテ)によって実行された。



posted by ESDV Words Labo at 10:58 | TrackBack(0) | と:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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