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2009年10月31日

[通過儀礼(initiation, rite of passage)・子どもから大人への移行(変化)を証明する儀礼]

通過儀礼(initiation, rite of passage)・子どもから大人への移行(変化)を証明する儀礼

文化人類学や民俗学で研究される『通過儀礼(イニシエーション)』とは、社会共同体に所属する個人の“社会的属性(社会的地位)の移行”を証明するための儀式のことである。通過儀礼は1908年にフランスの民俗学者アルノルト・ファン・ヘネップ(A.L. Van Gennep)が提案した概念であり、『出生・成人・結婚・地位の昇進・死』など人生の節目で共同体(帰属集団)によって施行されることが多い。

アルノルト・ファン・ヘネップ自身は『通過儀礼』について、『共同体に所属する個人がある状態から他の状態へと移行する時に、キリスト教の洗礼と同様に通過のために執り行う特別な儀礼』というように説明している。

伝統・風習が衰退した文明的な現代社会でも、成人式や入社式(入学式・卒業式)、葬式などの形で通過儀礼の形跡が残っている。通過儀礼は通常、自分が生まれ落ちた村落共同体の中で執り行われていたが、『異文化・異民族の知らない土地』に旅する時にも『その土地の食べ物を口にする・民族の祭祀や宴会に参加する・長老に挨拶して洗礼を受ける』などの通過儀礼(敵ではないことを証明する儀礼)が行われることが多かった。

移送手段や職業活動(全国的なビジネス)が発展した現代社会では、『生まれた土地・町村で一生涯を過ごす人口』が減っており、人口の流動性が高まっているので前近代的な厳格なイニシエーションとしての通過儀礼は減ってきている。文明化されていない原始的な共同体では、『割礼・刺青・闘争・バンジージャンプ・猛獣の狩り』といった身体的な苦痛や危険を伴う通過儀礼が行われていたが、それは『成人(大人)としての能力・覚悟を持っていることの証明』という通過儀礼の目的が強く含意されていたからである。

近代以前の日本社会でも武家社会の『元服(げんぷく)』が、一人前の成人になったことを証明する通過儀礼として行われていたが、現代社会で自治体が実施している形式的な『成人式』と比べると、元服は信賞必罰の社会的責任(生死の覚悟)がより一層厳しく問われるような武士の儀礼であった。

武家階級の元服では、服装・髪型(前髪を下ろした童髪)・幼名を変えたり、男子は腹掛けをやめてふんどしを締める(褌祝)などの儀礼が行われた。女子の場合にも、成人仕様の着物を着たり女性らしく化粧をする(口紅を差したり、おしろいを塗ったり)といった外見的に分かりやすい通過儀礼が存在した。

通過儀礼は所属共同体が定義する『発達年齢(社会的役割)の区分』によって機能する行事・儀礼であり、『幼児期・児童期・青年期・成人期・老年期』のそれぞれに発達課題と並行する形で形式的な通過儀礼が行われることが今でも多い。

通過儀礼とは『子どもから大人への移行・変化』を所属共同体が認証するための儀礼であり、その多くには『厳粛な雰囲気・達成すべき試練・苦痛な課題』などが伴っているのが普通であった。子どもだった個人が通過儀礼を経験することによって、それ以降は『大人としての処遇(大人としての権利・責任の付与)』を受けることになるのだが、現代社会では大人と子どもの境界線が揺らいでいることで『成人式の形骸化』が憂慮されることもある。

原始的共同体では一人前の大人であることの証明として『身体的な能力・苦痛への耐性・戦闘に参加する勇気』などが重視されていたが、人権思想を前提とする近代社会では暴力や苦痛そのものが悪と見なされることになり、『経済的な稼得能力・社会的な遵法精神』以外には大人としての要素が見当たりにくくなっている。通過儀礼の実質的な効果が希薄する社会では、『大人になることの覚悟・責任・能力』における個人差がより一層大きくなってくるが、大人と子どもの境界線上で人生を送る『遊び心・可塑性を失わない人生』を楽しみやすいというメリットも指摘できる。



posted by ESDV Words Labo at 09:29 | TrackBack(0) | つ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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