ニーチェの哲学思想の読解3:“ディオニュソス的なもの”と“アポロン的なもの”の対比
1869年に24歳の若さでバーゼル大学の教授になったニーチェは、ドイツのロマン主義的な音楽家ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813−1883)にはじめ傾倒しており、古典音楽や古代ギリシアの哲学・文化・価値観の研究考察を経由して『悲劇の誕生(1872年)』が書かれることになった。
ナチス党やアドルフ・ヒトラーは、ニーチェの『ニーベルンゲンの指環』『ローエングリン』といったワーグナー作品へのかつての傾倒を、ドイツ民族主義やゲルマン至上主義の賞賛として解釈した。だが、『悲劇の誕生』で重視されているのは、ワーグナー作品に読み取れるロマンティックで陶酔的な精神を奮い立たせる世界観であって、民族主義的な優生思想や異民族の侵略ではない。
ワーグナーのオペラ作品では英雄や国王、民族のロマンティックで情念的な物語が再現されており、ニーチェはこういった理性的判断ではない情念的感動・興奮の総体を『ディオニュソス的なもの』として賞賛しているのである。ニーチェの思想は元来、『政治・経済の野心』よりも『芸術・美学の追求』に焦点が合わせられており、『悲劇の誕生』に始まる古代ギリシアの思想・文化・価値観の研究を通して『アポロン的』と『ディオニュソス的』という対照的な類型が提示されているのである。
ニーチェは対比的な『アポロン的なもの』と『ディオニュソス的なもの』について以下のように考えていたが、アポロンはギリシア神話における太陽神・予告の神であり、ディオニュソスはブドウ酒・酩酊・豊穣・芸術を象徴する神である。
アポロン的……近代を象徴する“理性・合理性・客観性・計画性・科学技術”を志向するもの。
ディオニュソス的……非近代を象徴する“陶酔・熱狂性・感情性・刹那性・芸術性”を志向するもの。
ニーチェがアポロン的とディオニュソス的という『対比的な概念』を用いて伝えようとしたのは、近代的理性・合理主義哲学を情動的に批判することで、人間が本来的に有している『自然な生命力・圧倒的な感動性・生きる意味の体感』を回復させられるのではないかということである。
普遍的価値の創造者である『神』が死んだニヒリズムの世界で、永劫回帰の反復に耐えて『自己存在の価値』を“然り(それで良い)”と肯定するためには、『ディオニュソス的な熱狂・興奮』が必然的に要請されるのである。
『悲劇の誕生』は、近代的理性に基づく熱狂的な感動の無い『計画的な人間社会』を批判する書物であり、自然科学や道徳観念といった理性の産物だけでは、古代ギリシアの高貴な人々が有していた『力強い生命力(圧倒的な感動)・人生の陶酔的な充実感』を失ってしまうことになるという警告(警世)の書なのである。
ニーチェは人間本来の生命力の豊かさや力強さを回復させるための手段として、『芸術・美学による人間精神の覚醒(社会の再生)』に期待していた側面があると思われるが、ニーチェのワーグナーへの失望を契機にして『芸術的・耽美的な思索の軌跡』はほとんど消えてしまったかのようにも見える。
ニーチェの実存主義的要素を内在した思想の目的は『人間存在の全肯定』にあるが、ニーチェは近代的理性や科学的世界観を批判しつつも、その進歩への意志を肯定しようとする自己矛盾の葛藤を抱えていたのではないだろうか。
客観的な事象や一般的な法則を取り扱う近代的な自然科学の方法論では、『人間の生命力・自己の存在意義』を引き出すことができないということを深く理解していたニーチェは、『芸術・文学』を通したディオニュソス的な陶酔と感動によって人間本来の自然な生命力や感動性を取り戻そうとしていたように思える。
20世紀の到来を待たずに1900年に死去したニーチェは、正に『本格的な近代の到来』を予言した哲学者であり、『近代社会に潜在するニヒリズムの毒』の香りをいち早く嗅ぎ付けた初めての近代人だったのかもしれない。
関連リンク:ニーチェの哲学思想の読解1:“ルサンチマン”と“力への意志”,ニーチェの哲学思想の読解2:“ナチスの政治利用”と“超人思想の誤解”