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2010年02月14日

[ジェレミー・ベンサム,J.S.ミルの“功利主義(utilitarianism)”の展開]

ジェレミー・ベンサム,J.S.ミルの“功利主義(utilitarianism)”の展開

イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサム(Jeremy Bentham, 1748-1832)は、J.S.ミルと並んで功利主義(utilitarianism)の提唱者として知られる。功利主義という思想は、社会の善悪の判断基準を『功利性(社会全体の利益・利便・有用性)』に求めるものであり、ベンサムには量的功利主義を示唆する『最大多数の最大幸福』という有名なスローガンがある。

功利主義(utilitarianism)の内包する倫理的な社会観とは、『幸福(快楽)の総量を増やして、不幸(苦痛)の総量を減らした社会』であり、ある規範(ルール)や行為(判断)の結果として得られる利益(有用性)が大きければそれを『倫理学的な善』と解釈するのである。

J.ベンサムの採用した功利主義の立場は、快楽と苦痛を数量的に計算できるという『量的功利主義』であり、量的功利主義における『善(快楽の増加)』を実現するために数量的な快楽計算を行う必要があると考えた。

功利主義は結果としての快楽や利益を増加させようとする意味で『人権思想・利己主義(egoism)』との類似性があるようにも感じるが、功利主義には『社会全体の利益性・快楽量』を勘案するという前提があるので、状況によっては社会全体の利益・安定のために『個人の犠牲』を払うことを受け容れるような冷酷性・無慈悲性が生まれることがある。倫理学的な思考実験として、『ひとりの犠牲によって複数の人間の生命が救われるならばそれは善と言えるか?』というものがあり、生体からの臓器移植手術などが例として示されることもある。

現代の倫理学的判断では、快楽計算による功利主義的な判断よりも、『人権思想・個人主義』に立脚した判断(他人のために個人の犠牲が権力から強制されることは許されない)のほうに説得性を感じる人が多いと推測されるが、『人権の不可侵性』を前提としつつも『ひとりの犠牲で百人以上が助かるなどのケース』においては、功利主義的判断に正しさを感じ取る人もいるだろう。



posted by ESDV Words Labo at 14:19 | TrackBack(0) | こ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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