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2010年02月28日

[J.ベンサムのパノプティコン(一望監視施設)とミシェル・フーコーの規律訓練型権力]

J.ベンサムのパノプティコン(一望監視施設)とミシェル・フーコーの規律訓練型権力

前回の記事で、J.ベンサムやJ.S.ミルの功利主義(utilitarianism)について解説したが、J.ベンサムは『パノプティコン』と呼ばれる囚人全員を一望して効率的に監視できる刑務所の建設を、イギリス議会に提言したことでも知られる。

『パノプティコン(一望監視施設・万視塔)』という言葉が一般に知られるようになったきっかけは、ポストモダンの構造主義の思想家ミシェル・フーコー(Michel Foucault, 1926-1984)の著作『監獄の誕生』によってであった。

J.ベンサムが考案したパノプティコンの施設は実際に建設されることは無かったが、中央に高い監視塔を立ててその周囲に円形に監房を配置して『囚人の行動』を効率的に管理・監視するというアイデアは、M.フーコーに『近代国家の自動的な管理システムの本質』を直観させたのである。

パノプティコンでは看守は周囲にある監房の中(=囚人の行動)をいつでも見ることができる状態にあるが、実際には見ていないことも当然にある。しかし、『いつも見ることができる・いつ自分が見られるか分からないという蓋然的な可能性』によって、囚人は24時間にわたって絶えず自分が監視されているような自意識を自然に持つようになるのである。パノプティコンでは監視塔にいる看守(管理者)からはいつでも監房(囚人)を見ることができるが、監房からは逆光・鎧戸によって監視塔の中が見えない仕組みになっている。

その為、囚人は看守がいつ自分たちのことを見ているかを確認することができず、『絶えず自分たちが見られて管理されているという心理状態』に規律訓練させられていくことになる。ミシェル・フーコーは『いつも自分が誰かに監視・管理されている感覚』を民衆ひとりひとりに植え付けることが、近代的な国家権力の本質であると洞察し、こういった効率的な管理システムに支えられた権力のあり方を『規律訓練型システム』と名づけたのである。

ミシェル・フーコーは人間のまなざしのあり方を系譜学的に研究して、古代社会は大勢の人間(大衆)が少数の人間をまなざす『見世物の文化』が支配的であったが、時代が進むにつれて少数の人間(権力者・規範)が大多数の人間をまなざしているように感じさせる『規律訓練のシステム』に変化したと指摘している。パノプティコンの最大の特徴は、管理者が実際に見ているか見ていないかに関係なく、被管理者に『いつも見られているという感覚・自意識』を内面化させていくことである。

近代社会では学校教育システムによって、社会規範や権威主義的な従順さが内面化されることになり、特別な命令や強制を行わなくても大多数の人間が、『経済社会・権力によって望ましい行動』を取るという『権力の自動化』が実現されることになる。『社会的・対人的な視線(まなざし)』が学校や会社、監獄(刑罰)などによっていつの間にか内面化されていくことになるが、この近代社会に特有のシステムをM.フーコーは『規律訓練型システム』と呼んでおり、近代の権力は規律訓練システムによって『強制的な命令・威圧』を用いずに個人を自動的に社会に服従させていくのである。

posted by ESDV Words Labo at 08:30 | TrackBack(0) | は:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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