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2010年03月18日

[ナポレオン3世の第二帝政とフランスの市民革命・帝政]

ナポレオン3世の第二帝政とフランスの市民革命・帝政

ナポレオン3世(1808-1873)が皇帝となったフランスの『第二帝政(1852-1870)』は、プロイセンとの普仏戦争(1870-1871)に敗れたことで瓦解することになる。1789年に勃発したフランス革命は、国王のいない市民が政権を担う『共和主義政体』を理想とする革命であったが、ロベスピエール率いる国民公会が倒れてからは、復古王政や帝政の政体が続いていた。

フランス革命以後の政治体制の歴史は、1792年〜1804年の『第一共和政(国民公会・総裁政府・執政政府)』の後に、ナポレオン・ボナパルトが皇帝に就任する『第一帝政(1804-1814)』が樹立し、ナポレオンが失脚するとルイ18世の『ブルボン第一復古王政 (1814-1815)』で再びブルボン家の国王に政権が戻った。

エルバ島から帰還した皇帝ナポレオンが一時的に帝位に復活する『百日天下 (1815)』があったがナポレオンは政権運営に失敗して、再びシャルル10世『ブルボン第二復古王政 (1815-1830)』へと続いていく。

1830年7月29日にはブルジョア市民階級による『7月革命』が勃発して、シャルル10世の貴族・聖職者の利権を優遇するブルボン第二復古王政が打倒されることになる。7月革命によって、ブルジョア市民階級を擁護するオルレアン家のルイ・フィリップが国王となり、立憲君主制を敷く『七月王政 (1830-1848)』が始まった。

『ブルジョアの王・株屋の王』の異名を取ったルイ・フィリップは、フランスの裕福な中流市民階層(商工業者・資本家・企業家)であるブルジョア市民から大きな支持を集めたが、貧しい労働者階級や農民の政治的・経済的な不満が次第に高まり、1848年2月24日に勃発した『2月革命』で7月王政は崩壊した。

労働者階級を中心とする2月革命によって、自由主義者と社会主義者の政治家が混合した『第二共和政 (1848-1852)』が始まるが、第二共和政の臨時政府では、市民の自由権・生存権・労働権・結社権など先進的な諸権利が制定されて、21歳以上の男子普通選挙が実施されることになった。しかし、『6月蜂起』に代表される労働者階級とブルジョア階級の利害対立は激しくなり、労働者階級の社会主義革命を警戒するブルジョア階級は次第に保守化して反動的になっていく。第二共和政において、労働者とブルジョアが協力して共和主義を実現しようとする『革命の時代』は終焉に向かうのである。

ヨーロッパの歴史に興味のある方は、[ドイツ革命(ドイツ11月革命)の挫折とワイマール共和国の誕生:1][ドイツ革命(ドイツ11月革命)の挫折とワイマール共和国の誕生:2]も合わせて読んでみて下さい。

posted by ESDV Words Labo at 17:10 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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