民俗学のハレとケ,ハレとケガレ
民俗学や文化人類学で用いられる『ハレ』と『ケ』という概念があるが、ハレというのは『非日常的な祝祭・儀礼』のことを意味している。ケというのは『日常的な生活・活動(仕事)』のことであり、ケの連続性の中に『ハレの祝祭』が出現することによって、精神力(鋭気)の回復や生活リズムの区切りといった効果を得ることができる。
ハレは『神聖性・宗教性』を指し示すメタファーになり、ケは『世俗性・日常性』を意味するメタファーになるが、ハレを経験する機会は、日常的なケの時間よりも少なくて限られている。ハレは漢字では『晴れ』と書き、晴れ姿や晴れ着、晴れ舞台といった『特別な非日常性』をイメージさせる言葉にもなる。
ハレの行事やイベントは人生の区切り(節目)の時に行われることが多く、典型的な行事としては『入学式・結婚式・卒業式・入社式・盆や正月・お祭り』などがある。ハレの時間・行事(儀式)であることを表現するために、『赤飯・おせち・酒・餅・晴れ着・踊り』などさまざまなモノや活動が用いられるが、基本的には精神状態を日常生活よりも高揚させて楽しめるものが多くなっている。
ハレとケの時間・イベントは、定期的に繰り返される『文化的生活のパターン』を形成しており、ケの日常が長く続いている途中で気分・感情を心地よく解放するハレのイベントが挿入されるといった『定型的なリズム』が見られる。ハレの特徴として『非日常性・神聖性・精神的な高揚(陶酔)・経済的な浪費(物質的な贅沢)』というものがあり、ハレのイベントではみんなが楽しめるような催事や娯楽が行われることも多い。
ケの特徴はハレとは対照的なものであり、『日常性・世俗性・精神的な冷静さ(覚醒)・経済的な節約(物質的な倹約)』といった特徴が見られ、労働生活や家庭生活(日常生活)の大半はケの時間に分類されることになる。ケの時間には『顕著な特徴・分かりやすい変化』が見られないので、民俗学者の研究対象の多くは『ハレの儀式・行事・イベント』に関連したものになっている。
日本で著名な民俗学者である柳田国男は、民衆の生活や人間関係の本質は『ケの日常』に宿ると考えており、ケの日常生活の検証や再現を研究上の重要課題としていたが、ケの日常に関連する史料・痕跡・伝統行事は多くないので、『ケの時間・生活』を細かく研究するのはかなり困難である。
ハレは特別性を意識させる行事や儀礼なので『考えられた系』に分類することができ、ケのほうは無意識的に過ごしている日々の日常生活そのものなので『生きられた系』に分類することができるが、『考えられた系』であるハレのほうが顕著な特徴や歴史的史料に恵まれているので調査研究がしやすいという面がある。
日本ではハレの宗教性に関連づけて『清浄と穢れ(ケガレ)』の区別が重視される場面も少なくないが、近代以前のケガレの典型的な現象は『流血・死・出産』であり、女性差別・身分差別にケガレの概念が応用されることもあった。神道の清明さや怨霊からの解放を求めた平安貴族たちは『死のケガレをイメージさせる軍事行動』を敬遠していたという。『ケガレの概念』を見ると『ハレの概念』に対立するようにも見えるが、ハレの儀式には『葬儀・葬祭・盆』なども含まれるので、ハレには『ネガティブな死と関連する非日常性』も含まれている。