ファルス(phallus)と男性中心主義
前近代的な未開文明社会では、男性器に類似した木石が『神』として祀られたり、男性器の形態や表象、大きさが『権力の象徴』として認識されたりするが、これは男性中心主義(男性原理)に根ざした民族社会の『集合無意識』として解釈することができる。
医学的・解剖学的な身体器官としての男性器は『ペニス(penis)』と表現されるが、精神分析的・文化民俗的な象徴的意味(象徴的イメージ)としての男性器は『ファルス(phallus)』と呼んで区別される。
ファルスが『権力・支配・優越性』の象徴として機能する社会は、伝統社会・未開文明を含めて非常に多いが、特にファルスの権力や優等の象徴性は『家父長制社会・男性中心社会』の基本的価値観(社会通念)と深く結びついている。男性の女性に対する優位性、父親(夫)の母親(妻)に対する支配性など男性中心社会で共有されているイメージが、『ファルス』を権力の源泉として崇拝する原始的・本能的な心理を強化していると言える。
しかし、現代社会における男女同権思想・ジェンダーフリー思想の浸透によって、『ファルスの権力表象』は過去よりも衰えてきていて、現代の欧米社会は『女性原理』で運営される女性中心社会に傾きつつあるといわれることもある。男性が自分の男性器の大きさを気にしたり、他の男性と比較して劣等コンプレックスを持ったり、小さいと思い込んでED(勃起不全症候群)を発症したりすることも、男性中心社会における『ファルス(男らしさ)の象徴的意味』の心理作用として理解することができる。
精神分析の創始者であるジークムント・フロイトは、ファルスを『支配的な父権・権力の象徴』であると同時に、『社会秩序を強制的に構築する原理』として理解していたが、現在ではフェミニズムなどの立場から、この精神分析の男権主義的な理論構成に対する批判も多くある。
精神分析のリビドー発達論(性的精神発達論)では、3〜5歳の男根期(エディプス期)に、異性の親の愛情を同性の親と奪い合おうとする『エディプス・コンプレックス』が発生する。エディプス・コンプレックスの経験で『幼児的全能の去勢』が起こるが、この経験によって家庭(母親)の外部にいる他者に欲望が向かう『社会性・現実性(自我の強化)』が確立してくるのである。
このエディプス・コンプレックスに伴う、敵対する父親からファルス(男根)を奪われるのではないかという男児の『去勢不安』や、女児が自分に男根が欠如していることを悲しみ、力の源泉としての男根を求める『男根羨望』もファルスの象徴的意味の結果である。構造主義の精神分析家であるジャック・ラカンは、ファルスを完全無欠で欠如のないシニフィアンと仮定しているが、人間はこの完全無欠なファルスの表象と同一化することは永遠にできない。
エディプス・コンプレックスでは、幼児は父親ではなく自分が母の欲望対象である『ファルス』と同一化しようとするのだが、去勢不安や自我の確立によって自分自身が『全能のファルス』にはなれないことを悟り、家族の外部にいる他者に自己のリビドー(欲求)を向けるようになっていくのである。
権力や支配を表象するファルスは、完全無欠のシニフィアンとしての特徴を持ち、『主体』と『シニフィアン(指示するもの・記号)』との関係性を解明するきっかけとなるが、ファルスを客観的実在として観察したり実際的効果として利用したりすることはできない。ファルスの象徴的意味は、男女関係(家族関係)の大枠を規定するだけではなくて、社会的価値観としての男性性・女性性の差異を規定するので、ジェンダーフリー的な観点からはファルスの象徴性は否定されることになりやすい。

