野口体操(Noguchi exercises)
東京芸術大学元名誉教授の野口三千三(のぐちみちぞう,1914-1998年)が創始した体操法が『野口体操(Noguchi exercises)』であり、『人間の一生における可能性のすべての種・芽が、現在の自分のなかに存在する』という哲学的な人間観をベースにしている。野口体操は言語的な暗示誘導を用い、身体の動きを通して人間存在(自己)を見直すという『身体哲学』の要素を持っているが、言語的な暗示を重視しているという点では『催眠療法』のような作用機序も持っている。
野口三十三は『柔らかさとは、変化の可能性の豊かさ』であるという柔軟さやしなやかさを大切にする理念を持っており、水分で構成される人間の身体を『柔らかな皮袋』に喩えたりもしている。言語的な暗示によって、柔らかく大きな皮袋(身体全体)の中に、骨や筋肉、内臓が軽やかに浮かび上がっているイメージを思い浮かべさせたりもするが、野口体操の重要なポイントは『力を抜いてリラックスする・重力に自分の身体を自然に委ねる・柔らかくてしなやかな動きをする』ということである。
人生のプロセスで遭遇する困難や障害に無理なく立ち向かうためには『しなやかな力を抜いた生き方』が必要であり、野口体操では『身体と意識(言語)の調和』を通して、しなやかな生き方の根本となる『基本的な感覚・動作・イメージ』を習得していくのである。野口体操では『自己身体との対話』を繰り返しながら、『力を抜き・感覚を豊かにする』という具体的な方法を採用することで、『力まず・焦らず・他人と比較せず・瑞々しく』といった心身の健康を維持するための要点を身体に覚えこませていく。
野口体操では動きの主要なエネルギーを、『筋肉の収縮力・筋肉の増強』に求めていくのではなくて、『身体の重さ・その重さの解放』を動きにつながるエネルギーと見なしている。『本当の力』とは、物事を感じ取る感覚が豊かであることや身体感覚の微妙な差異を感じとることにあると野口は考え、野口体操では最小限のエネルギーを用いてより『健康に良い身体の動き』を探究しているのである
現代社会における『筋肉・努力・意識への過剰信仰(依存性)』は、緊張感と疲労感、自己喪失の悪影響をもたらす原因にもなっており、野口体操では『生命体としての原初感覚』を取り戻して『力が抜けた感覚・しなやかに動ける実感』というものを大切にしている。
全ての動きを筋肉の統制力によって強引に実現しようとすれば身体を傷つけやすくなるし、全ての問題を自分の意識の力で何とか解決しようと努力し過ぎれば精神が疲弊して抑うつ的になりやすくなってしまう。筋肉や意識の力に過剰に頼らずに、重力に身を委ねて力を抜いたリラックス状態を大切にすること、そして、『やわらかな身体と意識の調和』によって新たな人生の可能性を巧みに切り開いていくこと、それが野口体操の目指している生き方・人間観であると言える。