フリッツ・ハイダーのバランス理論(balance theory)
アメリカ(オーストリア出身)の心理学者フリッツ・ハイダー(Fritz Heider, 1896年-1988年)は、ヴェルトハイマー、コフカ、ケーラー、レヴィンらゲシュタルト心理学者との交流が深かった人物であり、三者以上の対人関係に関する認知・判断の研究で社会心理学に大きな影響を与えた。1960〜1970年代にF.ハイダーは、認知斉合性理論や認知的不協和理論と関係する『バランス理論(認知的バランス理論)』を提示したが、これは安定した三者関係を生み出す基本原理としても知られている。
二つ以上の認知(物事の考え方)や現実が対立・矛盾している認知的不協和の状況では、生理的な緊張感や不快感が生じることになるが、人間は現実に合わせる形で認知を修正してその緊張感を和らげる。イソップ童話のすっぱいブドウの逸話では、『木の上になっているブドウを食べたい』という認知と『高い木の上になっているブドウを食べられない』という現実があり、その認知的不協和によって苦痛が生じるのだが、『あんな高い所になっているブドウなんてどうせすっぱくてまずいに違いない』と認知を現実に合わせて修正することで、認知的不協和の苦痛を和らげている。矛盾する二つ以上の認知や現実の間で、不快感を感じる認知的不協和が生じ、その不快感を軽減するために認知を現実肯定的に修正するというのが、L.フェスティンガーの説いた『認知的不協和理論』である。
フリッツ・ハイダーの認知的バランス理論も、『対人関係における認知の矛盾(バランスの崩れ)』を解消するような対人評価・対象評価の変化が起こるという仮説である。認知的バランス理論を分かりやすく言えば、『好きな人が好きというものは好きになりやすい・好きな人が嫌いというものは嫌いになりやすい・嫌いな人が好きというものは嫌いになりやすい』という対象評価に関する心理的傾向性である。L.フェスティンガーの認知的不協和理論もF.ハイダーの認知的バランス理論も、認知的バランスの不均衡を修正する力が働くという仮説である。人間は認知のバランス(均衡)を自動的に調整することで、精神的ストレスや葛藤の不快を減少させて、心理状態の安定したバランスを保っているのである。
F.ハイダーの(認知的)バランス理論は、『P-O-Xモデル』を用いて解説されることが多いが、『P=認知の主体(自分・人), O=他者(関係者), X=事物・対象』を意味している。Xを他者にして、『P-O-Xの三者関係』として考えることも可能であるが、PとOの関係が良好であり、PとXの関係も良好であれば、OとXの関係が悪いとアンバランスな不均衡状態になるので、OとXも良好な関係に遷移していく可能性が高い。三者関係では、『3通りの組み合わせ(PとO・PとX・OとX)』を考えることができるが、その内、2通りの関係が良好であれば残りの一つも良好になりやすい傾向を持つということである。現実的には親しい人から紹介された初対面の人にも好意を持ちやすかったり、親しい人が好きな相手を嫌うことが難しかったりする心理を表している。
自分(認知者)と他者(関係者)、他者と他者の関係は『情緒関係(センチメント関係)』であり、人と対象(事物)との関係は『単位関係(ユニット関係)』として考える。認知者は、他者と対象との関係で生じる不均衡の不快感(ストレス)を低減させる『評価や認知のバランス化』を無意識的に行うが、これは例えば親しい他者Oが、AKB48や自動車などの対象Xが好きな時には、認知者(自分)であるPもXを好意的に評価しやすくなるという事である。
P-O-Xモデルでは、『P-O, P-X, O-X』の3つの関係を考えることができ、情緒関係(センチメント関係)は『好意的・非好意的』の対立軸で考え、単位関係(ユニット関係)は『結合・分離』の対立軸で考えるのだが、『相手が好きなものを自分が嫌いな時・自分が好きなものを相手が嫌いな時・自分が嫌いなものを相手が好きな時・嫌いな相手が自分の好きなものを好きな時』には認知的不協和の葛藤が生じるので、自分の認知や評価を矛盾が無くなるように調整することになる。
『相手が好きなものを自分が嫌いな時』には、自分Pも他者Oに合わせて対象Xの評価を上げて好きになるか、逆に自分と価値観が合わないと考えて他者Oの評価を下げるかである。『自分が好きなものを相手が嫌いな時』には、自分Pも他者Oに合わせて対象Xの評価を下げるか、逆に自分の好きなものを理解できない他者Oの評価を下げて嫌いになるかである。『自分が嫌いなものを相手が好きな時』には、自分Pも他者Oに合わせて対象Xの評価を引き上げるか、他者Oの価値観がズレていると考えて他者Oの評価を下げるかである。『嫌いな相手が自分の好きなものを好きな時』には、他者Oと同じ価値観を持つのが嫌だと考えて対象Xの評価を引き下げるか、自分Pと同じような判断をした他者Oを見直してその評価を引き上げるかである。
『P-O, P-X, O-X』の3つの関係において、良好(好評価)を“+”、不良(低評価)を“−”とすると、その3項の符号の積が正ならば『バランス状態』、負ならば『アンバランス状態』となる。P-Oが“+”、P-Xが“−”、O-Xが“−”ならその3項の積は“+”になるので安定したバランス状態になるが、このバランス状態は『自分が好きな他者が、自分が嫌いなものを同じように嫌っている状態』として理解することができる。