G.ホフステードの『ホフステードの4次元』とパワー・ディスタンス(power distance)
オランダの社会学者ヘールト・ホフステード(Geert Hofstede, 1928)は、社会生活・対人関係・職業活動などの領域において、人々が持つ価値観(判断基準)を国の文化や組織風土と関連づけて考察する比較文化論的な研究を行った。G.ホフステードは各国・各民族の文化的差異を研究するために『価値観調査質問集』を作成して膨大なリサーチを行ったが、そこから浮かび上がってきたのは『文化的・産業的(企業的)・社会構造的な多様性』であった。
G.ホフステードの研究は、各国の文化的差異や組織的特性を明らかにして、それを国際活動や企業組織のマネージメント、人材交流(異文化コミュニケーション)に応用して役立てようとするものである。ホフステードの定義によると、文化とは各集団の構成員に共通する精神的価値の集積や創造、慣習であり、目に見えない無形の影響力で『個人・組織・集団・国』の特徴や方向性を作り出していくものである。ホフステードは文化を構成する主要な要素として、中枢を構築する不可視の『精神的な価値観』と、文化の表層を形成していてある程度目に見える『人々・組織の慣習』を考えていた。
G.ホフステードは、各国の人々の価値観にまつわる文化的差異を理解するための次元として、『権力の格差・個人主義対集団主義・男性らしさ対女性らしさ・不確実性の回避』という4つの次元を採用したが、これを『ホフステードの4次元』と呼んでいる。パワー・ディスタンス(power distance)というのは、権力の格差や権力階層(身分階層)のことであり、インドのようにカースト制の名残が残っている国やアフリカ諸国・北朝鮮のように貧富の格差が極端に大きい国では、このパワー・ディスタンスが大きくなる。
パワー・ディスタンス(権力の格差)が大きい国・文化というのは、制度的・政治的な身分(格差)の上下関係が厳しく分かれている文化であり、富める者と貧しき者との経済格差(生活格差)が大きい文化である。それに対して、パワー・ディスタンスが小さい国・文化というのは、基本的に権利の平等が保障された自由民主国家であり、(一定の経済格差はあるとしても)人々の行動・自由が身分(地位)によって大きく制限されない文化である。
『個人主義対集団主義』というのは、個人の自由や主張を集団よりも重視する文化なのか、集団のまとまりや意志決定が同調圧力となって機能する文化なのかの違いを意味している。一般的には、日本は集団主義の文化と考えられているが、社会心理学の実験では簡単に離脱できない『運命共同体としての企業や村』に所属しているような状況を除けば、日本人と欧米人では集団主義的な価値観の違いは大きくないという結果もでている。日本人が集団主義的という常識的な見方は、『企業・村などの共同体的な利害』と関係している限りにおいて成り立つが、日本人の個人個人がいつも集団主義的な意志決定をするわけではなく、自分と無関係な他者との集団状況では逆に個人主義的な振る舞いをすることも多くなる。
『男性らしさ対女性らしさ』というのは、その文化が男性原理・父権社会によって運営されているのか、それとも女性原理・母権社会によって運営されているのかの違いであるが、先進国の多くは従来、男性原理(男性社会・家父長制)によって運営されていたものの、近年ではジェンダーフリーや男女共同参画などの社会風潮によって『女性らしさ』の価値観へと傾き始めているとも言われる。『不確実性の回避』というのは、リスクや不確実性を恐れずに新たなことにチャレンジしようとするのか、それともリスクや不確実性を嫌って絶対に安全と思える選択をしようとするのかの文化的差異であるが、この次元では日本文化は『不確実性・リスクを回避する保守主義の傾向』が強くなっていると言える。