ユング心理学の元型(archetype):永遠の少年(プエル・エテルヌス, puer eternus)
ユング心理学では、人類全体に共通する無意識の領域として『普遍的無意識・集合無意識(collective unconsciousness)』を定義するが、その普遍的無意識の象徴的内容及び情動的なイメージが元型(archetype)である。ユングが考えた元型には、グレートマザー(great mother, 太母)、オールドワイズマン(old wiseman, 老賢者)、シャドウ、トリックスター、セルフ、アニマ、アニムスなど様々な種類があるが、『永遠の少年(プエル・エテルヌス, puer eternus)』も普遍的無意識領域から浮かび上がってくる元型の表象(イメージ)の一つである。
永遠の少年(プエル・エテルヌス, puer eternus)は、瑞々しい美しい身体と清浄で穢れのない精神を持っていて、その若々しいエネルギーと形態を永遠に保持している元型である。永遠の少年の元型(アーキタイプ)は、古代世界の神話や伝説、民話、お伽話にも繰り返し出現していて、日本では桃太郎や金太郎、一寸法師などのお伽話のヒーロー(英雄)も加齢現象による老化を示さない元型である。『永遠の少年』としての特徴をもった永遠の美しさと清らかさを持った少年少女は、絵画や彫刻など芸術作品の題材となることも少なくない。古代のギリシア世界で、予言や弓矢、音楽など文化的活動を司る太陽神アポロンは青年神として、永続的に若々しく逞しい肉体を維持しており、アポロンの双子の妹で狩猟と弓矢を司る月の女神アルテミスも、永遠の神聖な美しさを保証された処女神である。豊饒とブドウ酒、恍惚・陶酔の神とされアポロンと対照的な情動的で奔放な神と言われるディオニュソスも、比類ない美貌と圧倒的な魅惑の力を持った美青年として表現されることが多い。
古代ギリシア神話で世界を支配している神々の幾つかには、『永遠の少年』の元型としての特徴や性格を備えたものがある。年齢的には青年期をモデルとしているものが多いので、厳密には少年といえない部分もあるが、ギリシア神話の神々は『永遠の少年』のように若々しく美しい肉体と清浄で明晰な精神を永遠に維持していくのである。
私達が、日常生活の中で『永遠の少年』の元型(アーキタイプ)を体験することには、若々しい創造性や潔癖性を維持するという良い面がある一方で、清濁併せ呑まなければならない現実社会への適応性が低くなるという好ましくない面がある。永遠の少年(プエル・エテルヌス)のイメージや象徴に強い影響を受けている人は、純粋無垢な子どものような美しい心を持っていて、大人の世界の悪事や過ちを許せない潔癖さを持っている。
勧善懲悪の理想を信念として持つこと自体は悪いことではないのだが、清浄な価値観や高潔な人格性が過剰になると『多くの人の欲望や策謀が渦巻く現実社会』に不適応を起こしてしまう恐れがある。つまり、『誰かを傷つけなければならない現実世界』に対して嫌悪感を覚えたり、『不条理や理不尽が罷り通る現実社会』への憤慨や抵抗が強すぎたりして大人としての社会的役割や責任を果たすことが出来なくなってしまうのである。また、『性的欲求を前提とした異性関係を拒絶する心理』が強い場合には、異性との恋愛や性愛を上手く結ぶ事が出来ずに、性全般に対する嫌悪や抵抗を抱いてしまうこともある。
『永遠の少年』の病理性は、『現実逃避による環境不適応』『加齢回避願望(老化恐怖)による全般性不安障害』『性的関係への嫌悪や成熟拒否による摂食障害』『性的欲求の否定による性嗜好障害(性倒錯)やインポテンツ』などになって表面化してくる。それらの精神障害や対人関係の問題を回避する為には、『現実社会へ適応しながら、理想状況を追求する』ような精神の成熟を実現することが重要である。永遠の少年の最大の利点とは、既存の社会規範や常識観念に束縛されない自由奔放な創造力と天真爛漫な活動力である。