行動主義心理学(行動科学)のS-R理論(Stimulus-Response Theory)
19世紀までの構成主義心理学や精神分析、意識研究の哲学は、自分の心的過程や心理内容を内省的に観察する『内観法(introspective method)』や臨床経験に基づく精神病理の理解という『臨床法(clinical method)』で研究が進められていたが、観察可能な行動の生起・変化を研究対象とする行動主義心理学の登場は、心理学の研究方法にコペルニクス的転換をもたらした。行動科学とも呼ばれる行動主義心理学は、内面的な思考や感情、動機、意図などを研究対象とせずに、外部世界の環境条件の変化や刺激(stimulus)に対する反応(response)としての『行動(behaviour)』を研究対象とした。
この刺激(S:Stimulus)に対する反応(R:Response)として行動を理解する理論を『S-R理論(Stimulus-Response Theory)』といい、古典的条件付けやオペラント条件付けで特定の刺激に続いて特定の反応(行動)が生起することを『S-R結合(S-R連合)』と呼ぶこともある。
行動主義心理学の研究者は、『内観法(introspective method)』では人間の行動メカニズムを解き明かすことが出来ないと考え、環境条件を統制した『実験法(experimental method)』や行動の生起過程を客観的に観察・記録する『観察法(observational method)』によって行動メカニズムの研究を進めることとなった。簡潔にまとめると、行動主義心理学の誕生は、主観的判断が大きく影響する思弁的な『哲学的心理学』から、客観的観察によって行動を記述・整理する『科学的心理学』への変遷を意味していると言える。
行動科学は、物理学や化学のような自然科学の研究計画や研究方法をモデルとしているので、究極的には、実験事例や観察事例を積み重ねて帰納法的に、『人間行動の形成機序の解明と行動原理の一般法則化』を目指すことになるが、現時点では、単純な古典的条件付けによる条件反射やオペラント的な行動の強化(reinforcement)を除いてその試みは成功したとは言い難い。
行動主義に理論的基盤を与えたのは、犬の唾液反射を用いた生理学的実験によって『条件反射(conditioned response)』の行動原理を発見したロシア(旧ソ連)の生理学者I.P.パヴロフ(Ivan Petrovich Pavlov, 1849-1936)である。パヴロフは、消化腺の研究の業績などによって、1904年にノーベル生理学・医学賞を受賞するが、パヴロフ自身は自分を行動主義心理学者であるとアイデンティファイしていたわけではなく、パヴロフは飽くまで一人の研究医であり生理学者であった。
『パヴロフの犬』の名前で知られる唾液分泌の条件反射実験は、見せると生理学的反射で必ず唾液を分泌する無条件刺激(UCS:UnConditioned Stimulus)である『餌』の後に、何度も繰り返し中性刺激である『ベルの音』を犬に聞かせ、ベルの音だけで唾液を分泌するように条件付けたものである。この生理学的反応を利用した条件付けを『古典的条件付け(レスポンデント条件付け)』といい、中性刺激のベルの音によって唾液分泌するようになると、そのベルの音が『条件刺激(conditioned stimulus)』となり、唾液分泌が『条件反射(conditioned response)』として起こるようになる。
行動主義心理学者(行動科学者)に分類される心理学者の代表として、ジョン・B・ワトソン(J.B.Watson, 1878-1958)がいて、S-R連合を前提とするワトソンの極端な環境決定論を改善した新行動主義の心理学者として、『行動の原理』を著したクラーク・L・ハル(C.L.Hull, 1884-1952)がいる。
ワトソンは、『私に心身共に健康な1ダースの赤ちゃんを与えてもらえれば、環境条件を調整して条件付けを駆使することによって、医師、弁護士、芸術家、大実業家、更には、乞食や泥棒にさえもしてみせよう』と豪語したことで知られるが、現段階の心理学では(当たり前のことであるが)、環境要因と遺伝要因が相互に作用しているので環境調整だけでは思い通りの子供に育てることは不可能であるとされている。
更に、クラーク・L・ハルの仮説演繹的な研究手法や思弁的な説明概念を非科学的な手法であると否定して、個別の観察事例から一般法則としての行動原理を帰納法で抽出することを強く主張した徹底的行動主義(急進的行動主義, radical behaviourism)のB.F.スキナー(B.F.Skinner, 1904-1990)が登場した。スキナー箱を用いたオペラント条件付け(道具的条件付け)の実験で著名なバラス・フレデリック・スキナーは、客観的に観察可能な行動以外の思弁的な説明概念を行動主義心理学に持ち込む事を否定し、観察事例に基づかずに主観的な仮説を立てて演繹的に研究を進めることに反対した徹底的行動主義者として知られる。
ネズミを入れて餌を取る為の仕掛け(レバー式の餌入れ)を施したスキナー箱の実験では、ネズミは餌の取り方を試行錯誤して学習すれば、レバーを押して自分から能動的に行動して餌を取れることが分かった。オペラント条件付け(道具的条件付け)とは、報酬としての快の刺激を与える『正の強化子』と罰としての不快な刺激を与える『負の強化子』を用いて行動の発現を条件付けするものである。俗に『飴と鞭の効果』といわれるものが、オペラント条件付け(道具的条件付け)であり、人間や動物の自発的な行動の形成に作用する行動原理である。