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2012年03月15日

[フェミニズム(feminism)とジェンダーフリーの思想・歴史:2]

フェミニズム(feminism)とジェンダーフリーの思想・歴史:2

この記事は、[前回の記事]の続きになります。 フェミニズムの歴史的起源は、1789年のフランス革命の『人権宣言』(初めは男性の人権のみを想定した記述であった)に対する女性にも男性と同等の基本的人権を認めよという抗議にあり、その後、1791年にフランスの女性作家オランプ・ド・グージュ『女性及び女性市民の権利宣言』を書いている。1792年にイギリスのメアリ・ウルストンクラフトも、女性の抑圧された社会的権利を拡張するフェミニズム運動を刺激する『女性の権利の擁護』を発表した。

19世紀には、フェミニズムの思想を基盤として、女性の権利と男女平等を求める運動が組織化され、19〜21世紀におけるその運動の成果として『普通選挙の女性参政権(婦人参政権)・売春禁止法・男女雇用機会均等法(女性の社会進出促進)・セクハラ規制法』などの法律が制定されたり女性の権利が拡張されたりした。女性参政権は20世紀初頭の第一次世界大戦後に多くの西欧諸国で認められていったが、米国で認められたのは1920年、日本で認められたのは(占領下でGHQの指導を受けた)戦後の1945年で比較的遅かった。

農業・漁業の第一次産業が中心だった18〜19世紀初頭までは、女性も男性とほぼ同等の労働に従事せざるを得なかったが、20世紀に入って重化学工業の工場労働や建設土木業の重労働、学歴エリートの管理業務(企業運営)が産業の中心になってくると、女性は次第に労働の現場から遠ざかり『(学歴・職業キャリアを持たずに家庭で家事育児に専念する)専業主婦としてのライフコース』を歩むことが理想とされ規範化されていった。

社会的・職業的な男女同権と女性の社会進出を求めるフェミニズムは、20世紀の『男は仕事・女は家庭(家事育児)』という性別役割分担のジェンダーに強い反対・批判を浴びせることになり、1950〜1960年代には『ウーマンリブ運動』という女性解放運動が過激化していった。

戦後の米国から始まったウーマンリブ運動は、女性を『女性』という性別であるがゆえに拘束して不自由にしている社会的・文化的・価値観的な諸制度を否定しようとするラディカルな運動であり、戦時中の工場労働や農業従事で仕事に自信を持った女性たちが、『女性も男性と同等の仕事ができる分野がまだまだ多くある』ということで、女性の労働の権利拡大を主張したのである。

しかし、ウーマンリブ運動には『結婚制度の規範性(女性は適齢期に結婚しなければならない)』や『近代家族の役割分担・性のダブルスタンダード(夫は仕事・妻は家庭,男の浮気は甲斐性・女の浮気は姦通罪)』が女性を束縛しているという不満も込められるようになっていく。その結果、ウーマンリブに参加したフェミニストの中には『結婚制度・伝統家族』を厳しく非難する者も出てきて、結婚をして家族も持つ一般の人たちの価値観とフェミニズムの思想の間に一定の溝(理解し合えない部分)も生まれてきた。

大半の国民は、女性差別の撤廃や女性の権利拡大(女性も働けるような環境整備)には賛成であったが、結婚制度そのものを廃止しようとしたり、近代家族の伝統や役割分担を否定するといった過激な部分にまでは賛同しなかったという事でもある。結婚制度の規範性や家族制度の役割分担、ジェンダーによる女らしさの押し付けが女性を不自由にして不当に拘束していると考えるようになった一部のフェミニストたちは、その後、社会的文化的に作られる“男らしさ・女らしさ”をフラット化(中立化)しようとする『ジェンダーフリー思想』に行き着くことになる。

posted by ESDV Words Labo at 09:05 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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