ウェブとブログの検索

カスタム検索





2012年03月15日

[フェミニズム(feminism)とウーマンリブの思想・歴史:3]

フェミニズム(feminism)とウーマンリブの思想・歴史:3

この記事は、[前回の記事]の続きになります。 このジェンダーフリーの思想や理念は、『学校教育・社会制度・労働政策』にも一定の影響を及ぼすようになっていて、男らしさと女らしさの行為規範を無くすべきか否かを巡ってはさまざまな立場から意見(考え方)の厳しい対立がある。

ジェンダーフリーは、既存の政治体制や経済制度、教育内容(しつけ)、家族制度、婚姻規範、社会生活、文化様式、価値規範のすべてに『今までの男性中心社会の弊害』が残っているという前提で、伝統的・慣習的に認められてきた“男らしさ・女らしさ”を指弾して批判しがちなので、一般的にラディカルで融通の効かないジェンダーフリーは受け容れられにくい。一方で、『男らしさと女らしさの強制性を排除する,同性愛や同性婚、セクシャリティの自由度を高めて差別せず受け容れる』といったややマイルドなジェンダーフリー(男性性・女性性の全ての廃止までは主張せずそれぞれの個性と選択を尊重するといった主張)には賛同者も少なからずいる。

アメリカのウーマンリブ運動が日本に入ってきたのは、反体制・反日米安保(反ベトナム戦争)を掲げた『全共闘運動』が盛んだった1960年代である。当時は、社会主義的・共産主義的な思想の側面で、『原理的な男女平等主義(男女共闘体制)』を掲げる市民革命かぶれの学生が多かったこともあり、フェミニズムやウーマンリブ運動が受容されやすい時代的な下地が既にあったのである。

1970年代には、日本各地でウーマンリブの組織化や勉強会などが開かれるようになり、女性が生殖活動を主体的にコントロールできること(妊娠する女性の社会的・経済的な不利益を減少させられること)の重要性を主張して、『経口避妊薬のピル解禁』が求められるようにもなった(中ピ連の結成など)。

ウーマン・リブ運動は国際的な男女同権主義の思潮にまでなっていき、その影響を受けた国際連合でも1972年の第27回国連総会で1975年を『国際婦人年』とすることを決議した。メキシコで国際婦人年世界会議(1975年)が開催され、法律的・制度的な男女平等を促進していく『世界行動計画』を策定するに至った。男女同権・男女平等・女性の権利などを目的的なテーマとして、コペンハーゲン会議(1980年)、ナイロビ会議(1985年)、北京会議(1995年)なども相次いで開催されたのである。

日本でも国際婦人年を画期として、女性権利擁護のためのさまざまな組織・活動が誕生する流れが起こり、『婦人差別撤廃条約の批准』『男女同権社会を構築する国内法の整備』を求める政治的な動きも加速することになった。

posted by ESDV Words Labo at 09:07 | TrackBack(0) | ふ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。