王子神経症(prince neurosis)とナルシシズム(自己愛)の克服
王子神経症(prince neurosis)とは、精神発達過程のエディプス期(男根期:4〜6歳頃)において、幼児的全能感を去勢できなかった未熟な人格状態であり、何でも自分の思い通りになると妄信して他人に自己顕示的な振る舞いやわがままな態度を取る神経症的な病態でもある。王子神経症とはその名称が示すとおり、最高権力者(国王)の後継者としての王子のような取り扱いや対応を当然の権利として求めるようなパラノイア的(妄想的)な神経症状態といえる。
自分が他者から特権的な優遇や最高度の尊敬を得ることが当たり前と思っている為に、『他者の権利や感情』に配慮した人間的な共感が出来ず、『社会的文脈や対人関係』に適応した常識的な態度を示すことが出来ない。王子神経症とは、シグムンド・フロイトが定義したエディプス・コンプレックスの克服に失敗して、善悪の判断基準(道徳規範・良心)を司る『超自我(superego)』を形成できなかった病的で幼稚な人格状態で、何をしようとも自分が罰せられることなどないと慢心している人物を指す概念である。
王子神経症に該当する人は、他者への配慮や妥協が一切なく、相互的に欲求を満たしあって信頼関係を築くギブ・アンド・テイクの人間関係を築くことが出来ない。一般に、傲慢不遜な鼻持ちならない人物と評価されて敬遠されていたり、甘やかされて育てられた世間知らずのご令息(ご令嬢)として辟易されていたりするが、王子神経症の行動原則は『快楽原則に基づく利己主義』にあるので他者と衝突しやすく、エスに翻弄される反社会的行動へと逸脱してしまう恐れもある。
その心理的特性の一つが、ストレス耐性(ストレス・トレランス)の異常な低さであり、『フラストレーション・攻撃仮説』に基づく攻撃反応の多さである。利己的で支配的な王子神経症では、外部の対人関係や社会的環境からの精神的ストレスに全く対応することが出来ないので、すぐにフラストレーション(欲求不満)状態に陥り、その反応として他者への攻撃性(暴力行動)が見られやすくなる。外部世界では他者の反撃(批判・否定)を恐れてわがままな振る舞いがとれないが、家庭内では支配的で暴力的な行動を取る内弁慶タイプの特性を示す王子神経症もあるが、その場合には、ひきこもりや不登校の非社会的行動と家庭内暴力という反社会的行動が重複することもある。
人格の発達が未熟で対人スキルが低く、社会適応性も殆どないので、王子神経症者は学校環境や対人場面に上手く対応できずに、強い精神的ストレスやフラストレーションを感じて家庭にひきこもってしまうケースも少なくないのである。他者に対して傲慢で横柄な態度を取って命令や指示をしたい欲求は絶えずあるが、幼少期から他者に反撃されたり怒られたりする社会経験(教育指導)を殆ど受けていないので、王子神経症の人は基本的に、他者から注意や攻撃を受けることに対して非常に敏感な反応を示し臆病(小心者)であるといえる。
自分の思い通りにならない『自我(主体的な自由意志)を持った他者』とのコミュニケーションの方法や遊びの楽しみ方を学習していないので、学校環境や社会状況に適切に適応していく為には『自己と他者の権利意識の自覚』を進めていき、他者に不快感や敵対心を抱かせない『コミュニケーションスキル』を向上させていく必要がある。
生物学的性差を意識し始めるエディプス・コンプレックスでは、異性の親に性的関心や独占欲を抱き、同性の親に敵対心や反発を感じるものだが、王子神経症者は、その養育歴において過保護・過干渉で両親から育てられてきた為、同性の親に処罰されるという去勢不安を感じる経験を積んでいない。即ち、エディプス期(男根期)以前の『自分が想像したことが実際に現実のものとなる』という魔術的思考や『自分は何でも思い通りに欲求(エス)を充足させることが出来る』という幼児的全能感を脱し切れておらず、『自分の欲求が満たされない事もあるという客観的現実』に目覚めていないのである。
幼児的全能感の残存を示すものとして、自分よりも上位の社会規範や権威的存在を承認しないという特徴があるが、王子神経症者は一般的にリビドーを自己自身に備給する『自己愛(ナルシシズム)』が強く、『誇大自己』のベクトルへと発達が歪められることが多くなる。王子神経症の克服は『発達早期のナルシシズムの克服』と等価な部分がある。つまり、性的欲動(生の根源的エネルギー)であるリビドー(libido)を自分自身へと向ける自他未分離な『自己愛(self-love)』からリビドーを自己の外部にいる他者へと向ける共感的な『対象愛(object-love)』へと転換することが、王子神経症の治癒や精神の健常な発達に役立つこととなる。
それは、母子一体感の幻想的な自己愛から抜け出すことを意味しており、自閉的で依存的な自己愛を克服することで、自己と対等な立場にある他者を愛する能力を獲得することになる。自己と対等な他者を愛せるようになり、自己より上位の社会規範(権威的存在)を承認することで、超自我が適切に機能して、社会的・精神的な自立が促進されるようになっていく。