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2006年11月20日

[エンプティ・スクリーン(empty screen):精神分析における自由連想・禁欲原則・分析者の中立性]

エンプティ・スクリーン(empty screen):精神分析における自由連想・禁欲原則・分析者の中立性

S.フロイトが創始した精神分析療法の基本原則には、心に思い浮かんだ事は何でも自由に遠慮なく話すという『自由連想法』と自己顕示欲の強さとわがままな依存性に象徴される神経症的パーソナリティに疾病利得(逆転移の欲求充足)を与えないようにする『禁欲原則』とがある。エンプティ・スクリーン(empty screen)とは『空白のスクリーン』を意味する言葉で、精神分析家(カウンセラー)が心理面接に臨む際の『分析者の中立性』を示している。

心に自然に浮かび上がってくる過去の人間関係の記憶や情景、イメージなどをありのままに話し続ける『自由連想法(free association)』は、潜在夢の持つ無意識的な意味を解釈する『夢分析』と並ぶ精神分析療法の中心的技法とされていた。禁欲原則というのは、精神分析の面接場面でクライエント(患者)が訴え出てくる要求や願望を安易に満たしてはならないとする原則で、クライエントの逆転移(counter-transference)への基本的な対処法である。

フロイトの持っていた精神分析家としての倫理感覚は、論文『ドストエフスキーと原父殺害』に象徴的に示されている。ドストエフスキーの強迫神経症的なパーソナリティを題材にしたこの論文においてフロイトは、『内面心理に生起する誘惑(欲望)を意識化していながらも、それを現実世界の中で行動化しない人間』こそが倫理的に正しいと主張している。禁欲原則に基づく倫理感覚とは、結局のところ、『本能的欲求(エス)を断念して、環境適応性を高める技術』のことを意味している。

ロシアが誇る天才的な文豪ドストエフスキーは、高潔な完全主義の倫理的要求を絶えず掲げながらも、エス(本能)の誘惑に対する『意志の弱さ』のために、何度も繰り返し許されざる罪悪を犯してしまう。フロイトは、ドストエフスキーの『強迫的な倫理主義』『誘惑に対する意志の弱さ』に、誘惑への屈服と後悔(罪悪感)を繰り返し経験する強迫神経症のパーソナリティを見て取ったと言える。

精神分析家が守るべき『分析者の中立性』を意味するエンプティ・スクリーン(空白のスクリーン)は、分析家の個人的な価値観や趣味嗜好、プライベートに関係する情報を話さないという態度によって実現される。中立的な態度を取らなければならない理由としては、クライエントが分析者の価値観や好き嫌いに影響を受けてしまい、自由連想の雰囲気が妨げられてしまうということを挙げることが出来る。精神分析の治療機序のポイントは、無意識的な願望を言語化(意識化)するカタルシス(精神浄化)にあるが、『言語化した幼児的願望(幻想的欲求)』を現実世界で満たさずに行動化を抑制することが重要である。クライエントの無意識的欲望を満たしてはならず、現実世界での行動化も規制するという禁欲原則は、現実適応力を高める『自我の強化』につながっていくと考えられている。

精神分析ではない一般的なカウンセリングにおいても、クライエントの自由な発言や個性的な主張を促進する為に、カウンセラー(心理臨床家)は、自分の好き嫌いや価値観、思想信条を積極的にアピールするような発言を控えることが推奨される。『エンプティ・スクリーン』としての聞き役を意識し過ぎると、中立性が過剰になり過ぎて応答が十分に出来ないことがあるが、クライエントの主体性や自尊心を尊重する『受容的な共感者』としての聞き役を意識することは大切である。



posted by ESDV Words Labo at 16:49 | TrackBack(0) | え:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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