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2006年12月09日

[オープン・エデュケーション(open education)とオープン・スクール(open school):管理教育と自由教育]

オープン・エデュケーション(open education)とオープン・スクール(open school)

オープン・エデュケーション(open education)とは、1905年にイギリスで出された幼児教育(初等教育)改革の研究報告書である『ハドウ報告書(Hadow Report)』を嚆矢として誕生した。オープン・エデュケーションは、生徒の行動や態度、価値観を画一化して規制する伝統的な教育方法を否定的に見る教育風潮であり、革新的に『教育の自由化・学校の開放化』を推し進めようとする教育イデオロギーであった。

20世紀後半に至っても、大半の先進国の初等教育(小学校教育)では、生徒の行動や勉強、服装を画一的に統制する管理教育の手法が採用されていた。フランスの構造主義の哲学者ミシェル・フーコーは、個人の個別的な価値観を抑圧して、社会的な価値観を押し付ける近代的な学校教育のシステムを『規律訓練型システム』と呼んだ。伝統的な学校教育では、社会の常識やルールを絶対視する規律訓練型の教育を行うことで、生徒に社会規範を習得させ社会秩序の一翼を担う国民(市民)を養成してきた。

しかし、教師が生徒の行動を統制する規律訓練型の管理教育では、『押し付け型の勉強(強制された勉強)』しか出来なくなり、生徒の主体性や自由な発想が阻害されるというデメリットが生まれてくる。このデメリットが、生徒の精神的ストレスを強めて、不登校(登校拒否)やいじめ、校内暴力の問題を引き起こすのではないかというところから、オープン・エデュケーションの思想は始まったが、現在のところ、管理教育と自由教育のどちらがより生徒の能力開発や人格確立に役立つのかの決定的な結論は出ていない。

結論が出ないというよりも、生徒の個性や性格、学習態度によってオープン・エデュケーションに基づく自由教育が効果を発揮する場合もあれば、そうでない場合もある。主体的な学習意欲が乏しく、自己の感情や行動を適切にコントロールする自制心の弱い生徒の場合には、オープン・エデュケーションの自由教育が、無秩序状態や学力低下といった有害な結果を招く場合もある。

オープン・エデュケーションの自由な雰囲気の中で行う教育が有効に機能する生徒というのは、感情や行動にまつわる自己制御力(セルフ・コントロール)が強い生徒、あるいは、自分から何かを積極的に学びたいという主体的な学習意欲(向上心)の強い生徒である。つまり、先生から強制されないと何も勉強する意欲のない生徒や、先生から叱責・管理されないと無茶苦茶な乱暴行為(逸脱行為)をする生徒が多数を占める場合には、オープン・エデュケーションは逆効果になる場合があるということであり、生徒の個性や教室の状態に合わせて教育方針を的確に変更していく必要がある。

とはいえ、現在でもエリート育成教育としての個別教育や、自由な雰囲気の元での学習行為には有効性が認められている。その事から考えると、インフォーマルな個別対応の教授法や生徒のストレスや心理状態を考慮した教授法は、これからの先進的な学校教育に必要不可欠な要素となっていくだろうが、公教育の財政上の問題を考えると全ての学校でそういった個別的な教育方針が採用されるとは考え難い厳しい現実がある。

1967年にイギリスで発表された『プラウデン報告書(Plowden Report)』は、アメリカのオープン・スクールの設立の増加に大きな影響を与えた。アメリカでは、1970年代にオープン・スクールが隆盛した後にはオープン・エデュケーションの運動は下火となり、1980年代に入ると生徒の無秩序化や学習意欲の低下、学校セキュリティの危険などが問題となって急速に衰退した。

オープン・スクール(open school)というのは、閉鎖的・抑圧的ではない学校、社会と生徒に開かれた開放的な学校のことである。具体的には、学校の建築様式そのものを開放的(open space)にすること、学校運営と教育方針(授業の雰囲気)を開放的・自由化することを意味していて、管理教育や強制的な学習へのカウンター・カルチャーとして生まれてきた背景がある。



posted by ESDV Words Labo at 19:31 | TrackBack(0) | お:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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