分離不安(separation anxiety)とマーガレット・マーラーの乳幼児発達論
分離不安(separation anxiety)とは、子どもが母親から物理的・精神的に離れることを不安に思う感情であるが、発達心理学的に2〜3歳頃まではどの子どもでもある程度強い分離不安を持っているのが普通である。生後36ヶ月(3歳)までにとりあえずの『個体化』が達成されて、一定以上の時間、母親から離れていても大丈夫な心理状態になるが、それでも小学生くらいの年齢までは、数日間〜数週間以上など長期間にわたっての分離に耐えられない子どもは少なくない。
女性の児童精神科医マーガレット・マーラーは、児童精神臨床の経験に基づいて以下のような『乳幼児発達論(分離‐個体化理論)』を構築したが、4、5ヶ月頃〜36ヶ月頃までの分離‐個体化期には母親と離れることによって分離不安が引き起こされやすい状態になっている。
0〜4、5ヶ月頃までは、『正常な自閉期(normal autistic phase:1〜2ヶ月)』や『正常な共生期(normal symbiotic phase:3〜4ヶ月)』と呼ばれる段階である。この出産後間もない段階では、赤ちゃんの外界への関心が乏しく、母親も常に子どもとぴったりくっついて世話や授乳をしているので、離れたら泣き叫ぶなどの分離不安は問題にならない。
1.正常な自閉期(normal autistic phase:1〜2ヶ月)……新生児の赤ちゃんは自他が区別できない状態であり、外界の変化や対象に対する関心も乏しいので、母子は幻想的な一体感を感じる状態になりやすい。
2.正常な共生期(normal symbiotic phase:3〜4ヶ月)……母親と赤ちゃんは一心同体というべき密接した関係にあり、母親は赤ちゃんに常に安心・食料・保護を与えようとする。そのため、赤ちゃんは母親と自分を区別のない『二者統一体(dual unity)』と認識して、母子一体となって生活する『共生圏(symbiotic orbit)』を構築している。
1と2の発達段階をまとめて『未分化期(nondifferentiation)』と呼んでいる。
3.分化期(differentiation subphase:5〜8ヶ月)……自己と母親が異なる存在であるということを認識できるようになり、『人見知り・自分の母親と他の母親との比較』などを行うようになる。
4.練習期(practicing subphase:9〜14ヶ月)……母親の側を少し離れて自由に行動するようになり、母親を『情緒的な安全基地』として活用しながら、分離不安を和らげるための練習を繰り返す。
5.再接近期(reapproaching subphase:15〜24ヶ月)……母親と離れている事による不安や寂しさを思い出しやすい時期であり、再び分離不安を和らげるための『母親への接近』が見られやすくなる。
6.個体化期(individuation subphase:24〜36ヶ月)……母親とある程度の時間まで離れていても大丈夫な『個体化』の能力がついてくる時期で、3歳頃になると一人で距離的にも時間的にも母親と離れていやすくなる。母親と離れて幼稚園に入園・通園するための自立的な心理状態が段階的に発達してくる時期である。
3〜6の発達段階をまとめて『分離‐個体化期(separation-individuation phase)』と呼んでいる。
7.情緒的対象恒常性の確立(36ヶ月以降)……子どもの精神内界に『自分を守ってくれる母親・父親・祖父母などの安定した心像・イメージ』が形成される段階であり、その対象恒常性(自分を支える内的なイメージ)の確立によって分離不安や孤独に対する耐性が高まり、一人でも意欲的・適応的な行動をすることができるようになっていく。
母親のほうが子どもと物理的・精神的に離れることを不安に感じて、いつまでも子どもの自立心をスポイルして自分に依存させることもあるが、こういった親の側の不安も分離不安と呼ぶことがある。
母親と長く離れていることができない子どもの分離不安が異常に強まってしまうと、一人で何も行動することができなくなり、児童期になると学校生活の不安やストレスに耐えられずに『不登校・ひきこもり』になるリスクが高くなるという面もある。反対に、母親の側の分離不安が異常に強くなってしまうと、『十分に成長した子の自立心の阻害』や『家庭からの独立や結婚に対する反対』などの問題が起こりやすい。
更に、成長した子どもが就職・結婚などで実家を出て自立することで、母親の精神的な孤独感や空虚感、自己評価の低下、役割意識の喪失(何もやるべき仕事がなくなったという無力感)、うつ病的な状態が引き起こされることがある。これは子との分離不安が関係した『空の巣症候群』として定義されている病的な心理状態である。
情緒的・役割的な子離れができない『空の巣症候群』の問題は、母親のほうが子どもからの段階的な精神的自立(子どもの存在と関係しない自分なりの仕事・趣味・生き甲斐などの発見)を遂げなければいけないことを示唆している。最終的には、『仕事や結婚、育児など子どもには子どもの人生がある・いつまでも親子一緒に同じ人生を生きることはできない』という現代社会における親子関係の現実に納得できるかどうかで、その後の精神状態の経過(転帰)が大きく変わってくる。