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2012年11月12日

[ヘドニズム(hedonism)とエピクロスのアタラクシア(ataraxia)]

ヘドニズム(hedonism)とエピクロスのアタラクシア(ataraxia)

古代ギリシア哲学の思想にまで起源(由来)を遡ることができる『ヘドニズム(hedonism)』は、『快楽主義・享楽主義』と翻訳されている。現代では快楽主義者というと、物理的な欲望や身体的(肉欲的)な快楽に惑溺してのめり込む人、刹那主義的な欲望を満たして楽しみ遊ぶことを最優先する人という意味で理解されやすい。しかし、古代ギリシア哲学では、エピクロス(B.C.341頃-B.C.270頃)が説いた欲望に支配されずに平穏な精神状態を保つという『精神的快楽主義』のほうに重点が置かれた。

『物理的(肉体的)快楽主義』は美味しいものを食べたい、美しい異性を手に入れたい、お金や商品が欲しいといった本能・虚栄・承認などに基づく欲望を満たすことであり、それらの世俗的な欲望が自分の思い通りに満たされなければ欲求不満となり、苦痛や不安を感じてしまう。それに対して、エピクロスが説いた『精神的(禁欲的)快楽主義』は、自分の際限のない欲望を制御して抑制することによって『アタラクシア(ataraxia)』という魂(こころ)の普遍的・永続的な平穏(安静)を手に入れようとするものである。

エピクロス学派の哲学者たちは、『本能・物欲・性欲・優越欲求(承認欲求)』などに振り回されている状態(それらを満たしたいと思って興奮したり葛藤したりしている状態)を不幸であり苦痛と考え、そういった欲望を抑制してほとんど意識しないまでになった『アタラクシア』という魂(こころ)の平穏・安静を人間の理想的な状態だと考えた。そのため、欲望・競争心・承認欲求などを刺激する恐れがある外界(俗物の他者)との接触をできるだけ避けて、『エピクロスの花園』という学園に閉じこもった。

古代ギリシアの時代のエピキュリアン(快楽主義者)は、自給自足の農耕牧畜を実践しながら、『自然・哲学的な思索・瞑想』と共に生きるストイック(禁欲的)な共同生活を営んだとされ、後世の誤解が生み出したエピキュリアン(物理的・肉体的な快楽主義者)とはかなりイメージが異なるものになっている。

エピクロスは人間の心に動揺と恐怖を与える『死』について、『私たちが存在する時には、現実に死は存在していない。死が存在する時には、現実に私たちはもう存在しない』というロジックによって、死は恐れる必要がないだけでなく、死を恐れたとしても原理的に無意味である(死が出現した瞬間に私の意識は消滅するのだから)と語っている。

カウンセリング(心理療法)には、人生を上手く楽しむことができなかったり、『喜び・楽しみ・興奮・爽快感』などのポジティブな感情を実感したり表現することができなかったりする『アンヘドニック(失快楽症)なクライアント』が相談に来ることが少なくない。特に“興味や喜びの喪失・憂鬱感・気分の落ち込み・絶望感・悲哀感情”などの主症状が出現する気分障害(うつ病)では、アンヘドニックなクライアントの比率が極めて高くなり、ポジティブなヘドニズム(快楽主義)によって精神状態や人生観のバランスを取り戻す必要が出てくる。

アンヘドニックなクライエントは『悲観的・絶望的・否定的な認知(物事の捉え方)』をし続けることによって、ポジティブな明るい感情や気分を体験できなくなることが多い。そして、クライエントの非機能的(不適応)な認知を修正していく『認知療法・論理療法』では、『ヘドニック(快楽主義的)な気楽さ・積極性・楽観的な予測』を身につけられるようにクライエントを支持・誘導していくこともあるのである。

現代社会では物質的快楽と精神的快楽の『節度のある調和(状況・他者に適応的なヘドニズム)』が重要になってきている。ただ『欲望・怠惰・感情』に唯々諾々と流されるのではなく、それを適度に調整することで、『自分自身の人生を楽しもうとする積極的な態度(人生や他者に対して悲観的にならずに絶望しないでいられるマインドタフネス)』を強めていくことができるのである。



posted by ESDV Words Labo at 07:29 | TrackBack(0) | へ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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