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2012年11月24日

[アルフレッド・アドラー(Alfred Adler):1]

アルフレッド・アドラー(Alfred Adler):1

アルフレッド・アドラー(Alfred Adler,1870-1937)は、オーストリアの首都ウィーンで生まれたユダヤ人の精神科医であり、1895年にウィーン大学医学部を卒業してからは初め、眼科医・内科医として開業していた。アルフレッド・アドラーを精神科医・精神分析家の道に進ませるきっかけになったのが、ジークムント・フロイトが夢に反映される無意識的な心理・記憶とその仕組みについて書いた『夢分析(1900)』の論文との出会いであった。

A.アドラーは3歳の頃に、同じ寝室で寝ていた弟を伝染病で亡くしており、小さな子どもの頃から身体が弱くて『くる病(せむし)・低身長』で劣等感を抱えていたが、アドラーはその劣等コンプレックスの無意識的な抑圧と変容のメカニズムに興味を持っていた。無意識の領域と内容を取り扱う精神分析を勉強しはじめたアドラーは、当時、医学会から猛烈な反発に晒されていた『夢分析の理論(無意識的な欲求が検閲を受けて夢の内容に反映されるという仮説)』を支持して、1902年にはフロイトからの招きで精神分析研究会の『水曜心理学会』に参加するようになった。

アドラーは次第に水曜心理学会の主要メンバーになっていき、水曜心理学会そのものも会員数を増やしてヨーロッパ各地に支部を広げるようになり、『国際精神分析学協会』へと発展していった。S.フロイトとの人間関係も悪くなかった時期には、アドラーは国際精神分析学協会の会長の地位にまで上り詰めるのだが、次第に学説上の対立や人間性(性格)の相性の悪さが目立つようになり、1911年にはフロイトの精神分析学派とその団体と訣別する事になる。

S.フロイトはA.アドラーと学術上・性格上の対立で訣別した後に、自身の後継者として厚遇していたC.G.ユングからも離別を告げられており、フロイトの性格は頑固であり妥協を知らない権威主義的な傾向(自分に対する弟子の批判や反論、抵抗を許すことができない性格傾向)が強かったとも言われる。1911年にアドラーは複数の仲間を連れてフロイトから離別し、『自由精神分析学会』を別に立ち上げ、1913年には『個人心理学会』に改名している。



posted by ESDV Words Labo at 12:52 | TrackBack(0) | あ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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