ウェブとブログの検索

カスタム検索





2013年01月19日

[マックス・ヴェーバー(Max Weber):3]

マックス・ヴェーバー(Max Weber):3

代表著作である『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(1905年)』も、比較宗教社会学の研究成果を応用した著作であり、近代西洋社会において資本主義が発生した原動力を『プロテスタントの宗教的な生活倫理(贅沢の禁圧と勤勉の奨励)・経済観念(貯蓄の促進と消費の抑圧)』に求めているのである。

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(プロ倫)』は、ドイツのマルティン・ルターと並ぶスイスの聖書原理主義の宗教改革者であるジャン・カルヴァンのカルヴィニズム(予定説)の思想の影響を受けている。予定説を信じるプロテスタントたちは来るべき『最後の審判』で天国に行くために、『神の人間を評価する基準』を満たす行動をしようとするが、人間の知恵や認識、価値観では推し量れない絶対者である神が人間の言動の何を実際に評価してくれるかは不明である。そして、神の基準が不明であるが故に、人間は必死に善行を積む努力をしてでも神の愛に縋ろうとする。

ジャン・カルヴァンの『予定説』とは、神が各人間が肉体的な死の後に天国に行くか地獄に行くかをあらかじめ決めており、各人間が生きている間にどのような努力をしても絶対者である神の『事前の予定』を覆せないという事である。人間が正しいと思ってしている善行が神にとっての正しさではないかもしれず、人間が悪いと思ってしている悪行が神にとっての悪事ではないかもしれないという難しさがそこにあり、いずれにしても人間の最終的な運命を決める権限は全面的に『不可知かつ唯一者の神』が握っているのである。

こういうと、あらかじめ人間の運命が神によって決定論的に定められているのであれば、人間は善行を積まずに悪行や堕落に手を染めてもいいのではないかという意見もでるが、敬虔なプロテスタントのピューリタンたちは『神の人間評価の基準』が分からないからこそ、後悔することがないように必死に神の基準で評価されるように努力して清貧で勤勉な信仰生活を送らなければならないと考えたのである。

敬虔で信仰心の厚いプロテスタントは、世俗における職業・仕事を『神から与えられた天職』と認識して、手抜きをせずに勤勉にその職業(仕事)に励むことで生産性を高めていき、贅沢・奢侈をしてはいけないという禁欲倫理によって勤勉な労働によって得た成果を『貯蓄・蓄積(資本の蓄積)』したのである。

この項目の内容は、『マックス・ヴェーバー:2』の続きになっています。



posted by ESDV Words Labo at 14:44 | TrackBack(0) | う:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。