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2007年01月27日

[開放病棟(open door system)と閉鎖病棟(close door system):フィリップ・ピネル(P.Pinel)]

開放病棟(open door system)と閉鎖病棟(close door system):フィリップ・ピネル(P.Pinel)

精神疾患(精神障害)を抱えた患者を入院治療する精神神経科の病棟には、開放病棟(open door system)閉鎖病棟(close door system)とがある。人権擁護とプライバシー保護に配慮された精神科医療の入院治療では、開放病棟で自由に病棟の外部と出入りできる開放処遇が原則である。しかし、自殺企図(自傷癖)があったり他人に暴力を振るったりする患者、自傷他害の危険性が高い患者の場合には、閉鎖病棟で治療が行われることもある。

1995年に改正された精神保健福祉法では、『第5章 医療及び保護』『任意入院・措置入院(強制入院)・精神病院における処遇』が規定されている。地方自治体の知事の公権力に基づく措置入院は、『精神障害のため、自分自身を傷つけ、他人に害を及ぼすおそれのある者については、精神保険指定医二人以上の診断結果にもとづき、都道府県知事の命令によって強制的に入院させることができる』と定められている。

18世紀以前の精神医学の入院治療の歴史を振り返ると、不衛生で娯楽の少ない劣悪な治療環境の中で、非人道的な取り扱いが為されることが少なくなかった。1952年に向精神薬(クロルプロマジン)が開発されて外来治療が当たり前となってからは、精神医療の人権意識や医療倫理は大きく改善することになる。しかし、それ以前の精神医学の歴史の大部分は、患者の非人道的な処遇がまかり通る『暗黒の歴史』であった。

18世紀のヨーロッパにおける精神病院といえば、薄暗い閉鎖病棟の中に鎖につながれて閉じ込められているイメージがあり、一度入院させられたら自力では退院(社会復帰)できないと考えられていた。こういった精神病に対する偏見・誤解や精神障害者に対する差別感情は、日本でも未だ根強く残っている。特に、薬物療法が普及していなかった1960年代以前の日本では、閉鎖病棟における拘禁療法を肯定する精神科医が少なくなかったし、日本の一般社会では精神疾患(精神障害)に対する迷信や誤解が広く普及していた。

閉鎖病棟の鎖から患者を開放して、人道的な処遇改善をするように主張した人物としてフランスの精神科医フィリップ・ピネル(Philippe Pinel 1745−1826)が知られている。ピセートル病院の院長となったP.ピネルは、開放病棟におけるデイケアや作業療法などを重視して、閉鎖病棟の劣悪で悲観的な環境は、患者の状態をより一層悪くするだけだと考えた。P.ピネルは、精神病を不治の病と見なすような『時代の間違った偏見』に真っ向から対峙した初めての精神医学者(臨床家・研究者)であった。『患者の行動の自由を尊重する開放処遇』と『人間的な交流に基づく精神疾患の治療』というピネルのコンセプトは、日本の精神医学の先駆者である呉秀三(1866−1932)にも継承された。

ピネルの開放処遇に基づく治療や患者の人権尊重の気運は、産業革命後に起こった利益重視の社会変動によっていったん断絶する。労働者としての『生産性』や企業の経済活動への『適応性』が重視される産業革命の時代には、労働力(経済資源)として役に立たず社会的な利益を生まない精神障害者は、閉鎖病棟に追い込まれて冷遇されることが多かった。産業革命を経た18世紀後半から20世紀前半までの時代には、薄暗く衛生状態の良くない閉鎖病棟で患者の入院治療が行われることが増えたのである。精神障害者に対する人権侵害やプライバシーの無視について医療関係者の関心が高まり始めたのは、欧米では1920年代頃からであり、日本では1960年代頃からであったと言われる。

精神障害者を鍵のかかった閉鎖病棟で治療した背景には、社会生活に適応できず意味不明な言動を取る患者を隔離して欲しいという家族・社会からの要請が大きかったことが影響している。しかし、その根本原因は、精神障害の病態や治療法、回復可能性について正しい知識を殆どの人がもっていなかったことにある。当時、精神分析や物理療法(ロボトミー・電気けいれん療法・インシュリンショック療法)を行っていた専門家でさえ、標準的な薬物療法が確立されるまでは、急性期の錯乱した精神病患者に対する確実に有効な治療手段を持っていなかったのである。その為、『錯乱・興奮・激越・暴力・被害妄想を伴う幻覚』といった反社会的な自傷他害行為につながる症状を示す患者の対処に困って、閉鎖病棟に収容する症例も少なくなかったと考えられる。

しかし、20世紀半ばになって有効な薬物療法が開発され、精神疾患の通院治療が可能になってからは、患者の行動の自由と人権の保護に配慮した開放処遇が一般化している。精神保健福祉法では、患者の人権やプライバシーに十分配慮して入院治療を行わなければならないと定められている。陰鬱で悲観的なイメージの強い『精神病院』という名称自体が消滅しかかっており、明るく開放的なイメージを持つクリニックや心の医療センターといった名称が使われることが多くなっている。

クリニックの標榜科も、患者側の需要と気持ちに配慮して『精神科』ではなく『心療内科』や『神経科』を標榜するクリニックが増えている。全体として『患者が気楽に心の問題や悩みを相談しやすい医院(診療所)』を目指す動きが見られ、ストレス状況の多い社会で増え続ける精神疾患(メンタルヘルスの悩み)に対処する体勢が取られ始めているといえるだろう。精神神経科の入院施設も、閉鎖病棟を設置していない病院が増えており、『部屋の外観・内装・設備』にしても他の診療科の部屋と変わりがなくなっている。

精神療法やカウンセリング、エンカウンター、作業療法、リハビリテーションといった総合的な対人援助に力を入れている心療内科や精神科クリニックが増えており、大きな病院になると患者や家族の交流を促進するデイケアルームや作業療法施設、ナイトホスピタル(夜間施設)を併設しているところもある。総合的な対人援助を実施する病院では、医師・看護師・心理士・理学療法士・作業療法士など各領域の専門家が情報交換しながら協働するリエゾン精神医学の実現を目指す動きが活発となっている。



ラベル:精神医学 歴史
posted by ESDV Words Labo at 02:45 | TrackBack(0) | か:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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