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2007年02月04日

[アドラー心理学の器官劣等性(organ inferiority)と劣等性の補償]

アドラー心理学の器官劣等性(organ inferiority)と劣等性の補償

オーストリアの精神科医アルフレッド・アドラー(Alfred Adler, 1870-1937)が創始した精神療法の心理学派は『個人心理学(Individual Psychology)』である。個人心理学は、アドラーの死後時代が下るにつれてアドラー心理学と呼ばれることが多くなった。フロイトの精神分析の理論・技法を継承する臨床家(研究者)をフロイディアンと呼び、ユングの分析心理学(ユング心理学)の理論・技法を継承する臨床家をユンギアンと呼ぶが、アドラー心理学(個人心理学)を継承する臨床家はアドレリアンと呼ばれることがある。クライエント中心療法(来談者中心療法)の非指示的で共感的な技法を好む臨床家は、ロジェリアンを称することもある。

最近では、効果測定を踏まえた統計学的根拠に基づくEvidence-based(エビデンス・ベースド)な臨床心理学の影響が強くなっていて、特定の学派・技法に偏った心理臨床(カウンセリング)は余り行われなくなってきている。回復(無意識の言語化)までに長い時間を必要とする精神分析の臨床も、費用対効果が良くないということで余り実施されなくなっている。しかし、アドラー心理学を含むフロイトの系譜につらなる精神分析理論は、現在でも、異常心理学の症状形成機序(発症・経過・予後のメカニズム)を説明する為に用いられることが少なくない。

シグムンド・フロイトやカール・グスタフ・ユング、アルフレッド・アドラー、ハインツ・コフート、メラニー・クライン、ドナルド・ウッド・ウィニコットなど精神分析の学術的系譜に位置づけられる臨床心理学者(精神科医, サイコセラピスト)は、力動的心理学(力動精神医学)の立場から『精神の構造・精神の機能と発達・病理のメカニズム・治療の過程・心理療法の実践』を体系的(論理的)かつ臨床的(経験的)に整理するという重要な功績を残している。

アルフレッド・アドラーは、C.G.ユングと同様にフロイトの弟子と思われていることが多いが、アドラー自身が自分をフロイトより格下の弟子だと認識していたという事実はない。A.アドラーは、1902年にS.フロイトが主催するウィーン精神分析学会に参加した古参の精神分析家であり、フロイトとアドラーは対等な共同研究者として精神分析の発展に力を尽くしたのである。

汎性欲説を主張するフロイトとの理論上の対立から1911年に精神分析学会を離脱したアドラーは、個人心理学を創設して、器官劣等性(organ inferiority)を前提とする勇気づけの心理療法を研究し始めた。個人心理学では、部分的な要素に分割できない全体性を持つ『個人・人格(individual)』を研究対象とするが、アドラーは集団社会から孤立した個人ではなく、『共同体感覚』を持って『劣等性の補償』を行いながら積極的に社会参加する個人を正常であると考えていた。アドラー心理学の最重要概念として、『器官劣等性より生起する劣等性の補償』『集団社会に参加・貢献する意欲としての共同体感覚』があるが、アドラーは集団的な共同体感覚により、個人的な劣等性(劣等感)を補償して乗り越えることが可能だと考えていた。

アドラー心理学の基礎理論は、精神医学や臨床心理学よりも学校教育や幼児教育、生涯学習といった教育分野に大きな影響を与えたが、それはアドラー心理学では、“やる気・意欲・継続力・目的意識”を支持的に高めていこうとする『勇気づけ(encourage)』が重要な役割を果たしているからである。アドレリアンはアドラー心理学の勇気づけの技法を工夫して用いることで、クライエントの『成功のためのリスクを引き受ける能力・抱えている問題を克服する努力・社会に協力できる能力』を高めていくことが出来る。

A.アドラーは人間の劣等感の起源には、医学的・身体的な器官劣等性(organ inferiority)があると考えていた。器官劣等性とは、10歳頃までに認識される恥辱・困難・不便を感じさせる身体疾患(身体的な欠点・障害・問題・奇形)のことである。人間は、目が見えない・耳が聴こえない・口が聞けないといったハンディキャップとしての器官劣等性を持っていると、他人より劣っているという劣等感を抱いて勇気を無くし自尊心を傷つけられやすくなる。特に、子供時代には『他人と違っているという身体的な疾患・障害・見た目の悪さ』が劣等感の原因になりやすい。上述した感覚器官の障害だけではなく、皮膚が炎症を起こして見た目が気になるアトピー性皮膚炎(慢性皮膚疾患)も『人前で肌を見せたくない』という劣等感の原因になるし、すぐに喘息発作が起きて運動ができなくなる気管支喘息も『自分は体力のない弱い人間だ』という劣等感の原因になる。

他人の苦しみや悩みに共感できる程度に精神が発達すると、そういった身体疾患も『自分の個性の一部』として受容されたり、器官の強化と共に『自然寛解』したりすることもあるが、私達の劣等感の根底には器官劣等性が作用していると考えられる。そして、大人になったとしても私達は器官劣等性を補償しながら克服することはできるが、器官劣等性を完全に無視して平然といることは難しいのである。アドラー自身が、幼少期には虚弱体質であり、せむし気味の自分のスタイル(容貌)に劣等感を持っていたので、自分が抱えていた幼児期以来の身体的コンプレックスから器官劣等性を着想したと言われる。

器官劣等性に対して、私達が取ることの出来る態度や行動には以下のようなものがある。一つは、自分が劣等コンプレックスを感じている劣等器官そのものを鍛錬したり克服したりする『正攻法の対決的な態度』であるが、これは遺伝性の病気であったり器質的な虚弱体質である場合には上手くいかない。もう一つは、自分が劣等コンプレックスを感じている器官とは異なる器官(能力)を使って『劣等性の補償』を行おうとする行動パターンがある。例えば、勉強が苦手で向学心がなかなか湧かない子供が、勉強ではないサッカーや野球の練習を頑張ってプロ選手を目指そうと決意することなどがこれに当たる。

更に、最も好ましくない器官劣等性への反応として、自分で劣等性を克服したり補償することを諦めて、『自分を守ってくれる他者に完全に依存する』という行動パターンがある。この場合には、社会適応性が著しく低くなり、他者に依存的かつ物事に消極的な性格行動パターンが定着しやすくなる。A.アドラーの代表著作の一つに『器官劣等性の研究』がある。



posted by ESDV Words Labo at 07:57 | TrackBack(0) | き:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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