エピクテトス(Epiktetos):3
ストア派では人間の意志を自然・世界と一致させる言動が『徳(アレテー)』であるとされるが、この『徳』や前述した『理性』があるかないかによって、人間が幸福(理性的・道徳的な存在)になるか不幸(欲望的・反道徳的な存在)になるかが決まってしまうのである。
ストア派では、正しい普遍的理性こそが、人間と世界(自然)とを誤謬なく統合する基礎になるので、人間の人生の目的とはその理性(自然)に従って生きることであり、理性によって破壊的な情動を抑制して『アパテイア(心の平静)』に到達することである。ストア哲学はプラトン哲学の影響を受けて、『知恵(ソフィア)・勇気(アンドレイア)・正義(ディカイオシネ)・節制(ソフロシネ)』という4つの枢要な徳を上げている。
エピクテトスらのストア主義者は、敵と勇猛に戦うことを徳とするが、一般的な殺人(他殺)については明確に否定する。自殺についても社会的責務の放棄として否定するが、悪政や弾圧によって高潔な徳(理性)に従った生活を送ることが不可能な場合、病気や怪我によって耐え難いほどの苦痛・絶望がある場合には、自殺は道徳的に正当化できると考えており、この大義ある自殺の正当化は後世のキリスト教の道徳(自殺禁忌・罪悪視)とは異なっている。
エピクテトスは『神はどこにいるのか。あなたの心の中に。悪はどこにあるのか。 あなたの心の中に。どちらもないのはどこか。心から独立なものの所である』や『人間は物にかき乱されるのではなく、物に対する自分の考えにかき乱されるのだ』、『それゆえ、もし不幸な人がいたら彼に自分が自分自身の理由で不幸なのだと思い出させよう』という言葉を残しているが、これらは自分の物事に対する解釈や受け止め方で気持ち(幸福・不幸)が変わるという心理療法の認知療法(アルバート・エリスの論理療法)にも深い示唆を与えることになった。
気分や感情が『認知(物事・相手の受け止め方)』によって変容するという前提に立つ近代的な論理療法・認知療法は、古代ローマの時代のストア派エピクテトスの『認識論(人は物自体によって災いをもたらされるのではなく、その物をどう見るかによって災いになるのである)』とも共通する要素を持っているということである。
この項目の内容は、『エピクテトス(Epiktetos):2』の続きになっています。