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2013年07月07日

[G.M.ケルシェンシュタイナー(G.M.Kerschensteiner)と労作教育]

G.M.ケルシェンシュタイナー(G.M.Kerschensteiner)と労作教育

ドイツの教育学者であるG.M.ケルシェンシュタイナー(G.M.Kerschensteiner,1854-1932)は、ミュンヘン市を拠点として教育行政分野で活躍した人物であり、ミュンヘン市視学官・ミュンヘン大学教授を歴任した。ケルシェンシュタイナーは『公民』を養成するための教育改革に熱心に取り組み、従来の知識中心の受動的・主知主義的な教育を批判して、手工業的な作業を中心とした『労作教育』の必要性を唱えた。

ケルシェンシュタイナーは、ギムナジウムの教師として十数年間にわたり働いた後に、その経験を評価されて1895年から1919年まで生誕地のミュンヘン市で視学官という教育行政官僚を勤めた。実業補習学校(職業学校の前身)の改革を行って、ドイツ固有の職業教育制度の基礎を構築し、集団的作業を通した『労作教育』が公民としての人格形成や社会貢献、集団適応に役立つという持論を展開した。

ケルシェンシュタイナーのいう『公民』とは、社会共同体や国家に貢献する人材のことであるが、『手工業的な集団作業』だけではなくて『自由な自己表現活動(創造的活動)』を通して、国家や社会に積極的に適応して貢献できる公民を育成できると考えたのである。こういった労働を通した人格形成や社会貢献という基本コンセプトは、『国家社会主義労働者党』を標榜したアドルフ・ヒトラー総統が率いるナチスドイツにも継承されていった。

ミュンヘン大学教授として教育学・学校教育改革の理論的研究に取り組んだケルシェンシュタイナーの思想は、『労作(作業)教育説』『公民教育説』の統合を掲げて、『知識・教養・理論の教育』よりも『作業・技術・精神(道徳)の教育』を重視したところに特徴がある。労作学校(職業学校)の設立と労作教育の推進を主張したケルシェンシュタイナーの教育思想とその実施計画は『ミュンヘン・プラン』と呼ばれていた。

日本でも欧米留学経験のある北沢種一(1880‐1931)が、東京女子高等師範学校の付属小学校に労作教育を導入したりもしたが、農耕社会であった日本においても『集団作業・労作(労働作業)への真面目な従事』が生徒の道徳規範や公共心を高めて社会貢献できるような人材(自我を抑えてみんなと協力する人間)を育てるという価値観は古くからあった。



posted by ESDV Words Labo at 11:36 | TrackBack(0) | け:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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