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2013年07月17日

[マージナル・マン(marginal man)と相対主義]

マージナル・マン(marginal man)と相対主義

自由化・個人化が進んだ現代社会では、特定の価値観や生き方だけを肯定することを批判する『価値多元主義・文化相対主義』の影響力が強まっており、私たちは『自分たちとは異なる価値観・生き方・文化行動』に対する寛容性や受容性が過去と比べれば格段に高くなっている。

確かに、現代の日本やEU諸国、アメリカといった先進国でも『排外主義・国粋主義・人種や宗教の差別』などの問題は残っている。経済環境や雇用情勢が悪化してくれば、自己アイデンティティを肯定するためのナショナリズムや外国(異民族)への敵対心・嫌悪感が生まれることもあるが、社会全体の空気や価値観は共生・寛容・平等の理念を大切にする『リベラリズム』をベースにしたものになっている。少なくともあからさまに特定の外国を敵視したり外国人を差別したり、自国の利益のためには外国に何をしても良いというような価値観が、先進国の良識的な多数派に支持されることはまずなくなっている。

『自分の立場・利益・価値観』だけではなくて『相手の立場・利益・価値観』にも想像力と共感性を働かせて、できるだけ好意的に解釈し理解しようとするというのが『価値多元主義・文化相対主義』といった相対主義の思考方法である。これらの相対主義は、自分たちとは異なる価値観や利害を持っている他者(集団)との共生の可能性を高めてくれる。その一方で、『自分には言い分があるが、相手の言い分もまた分かる』という中立的・調停的な態度を取ることによって、自分の判断基準や価値観の根拠が曖昧になりやすくなり、自己存在の足場を失って『自己アイデンティティ』が拡散しやすくなってしまう。

相対主義が支配的となってきた現代社会(ポストモダン社会)では、『特定の集団・民族・文化・価値観』への帰属性が弱くなりがちで、絶対的な価値観や存在意義に対して懐疑的な態度を取りやすくなる。

異なる文化・価値観を持つ複数の集団が共存している相対主義の社会では、どの集団にも深くコミットせずに各集団の境界領域に位置するような『マージナル・マン(marginal man)』が生まれてくる。かつての民族国家ではマージナル・マンの多くは『マイノリティ・グループ(少数者集団)』と重複することが多かった。社会経済的な差別を受けやすかった移民や漂流民(ロマ,ジプシーと呼ばれる人たち)、犯罪者(前科者)、混血者などがマージナル・マンとしての相対的な自己アイデンティティ・帰属心を持っていたりもした。

現代ではマージナル・マンとしての中間的・相対的な自己アイデンティティを持つ人たちの範囲は広がりを見せており、世界各国の情勢や民俗についての知識・情報を広く持つようになった知識人・評論家・学者・教育者などにも『自国だけを特別に肯定するわけではないマージナル・マン』が増えている傾向がある。

マージナル・マンは『辺境人・周辺人・境界人・限界人』などと翻訳されることもあるが、社会・共同体の中心やマジョリティ(多数派)からは離れた位置で活動していることが多く、自集団だけを最優先しようとするマジョリティの人たちよりも『中立的・客観的・相対的な価値判断』をしやすいという特徴を持っている。その意味では、異文化・異民族との共生の適応力が高いリベラル志向のマージナル・マンは、国家主義的・民族主義的な保守派からすると『信用できない相手・国家に忠誠を尽くさない裏切り者・味方と敵を区別しない風見鶏(カメレオン)』のように見られてしまうことも少なくない。



posted by ESDV Words Labo at 13:00 | TrackBack(0) | ま:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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