ウェブとブログの検索

カスタム検索





2013年08月19日

[無門慧開の『無門関』と看話禅(臨済宗)の禅宗]

無門慧開の『無門関』と看話禅(臨済宗)の禅宗

中国の宋代(南宋の時代)に、禅僧の無門慧開(むもんえかい,1183-1260)によって編集された公案集が『無門関(むもんかん)』である。『公案(こうあん)』というのは、仏教を信仰する仏教徒が『仏法の真理・世界の実相』を悟るために解かなければならない矛盾や盲点を含んだ問題のことである。無理会話(むりえわ)とも呼ばれる公案に答えるためには、『発想の転換・常識の放擲・真実の着想』などが必要とされている。

無門慧開が編纂した『無門関』には、48個の公案が禅宗関連の様々な語録から選出されており、それぞれの公案には頌・評価が付け加えられている。臨済宗の『看話禅(公案を研究して真理に到達することで悟りを開けるとする禅)』では必須の教科書のような位置づけになっている。一方で、余計な邪念や想像、知恵を交えずにひたすらに座禅を組んで座り続ける只管打座こそが悟りへの道と考える『曹洞禅』では、頭(発想力)を使って公案の問いに答えるだけで悟れるとする看話禅を厳しく批判している。

禅宗の基本思想は、『教外別伝(きょうげべつでん)・不立文字(ふりゅうもんじ)』と呼ばれる師資相承(ししそうしょう)の奥義の伝達にあるが、臨済宗はその奥義の伝達方法としての公案が高度に発達していったのである。

公案を用いる看話禅を大成したのは五祖・法演(ほうえん,生年不詳-1104)で、無門慧開はその法演の六世を隔てた法孫とされている。『無門関』の最初の公案である『趙州狗子(狗子仏性・趙州無字)』では、『犬にも仏性はあるか』という問いに趙州(じょうしゅう)が『無』と答えたというだけのものである。

だが、この公案には仏教の伝える究極の真理である『無の思想の奥義』が備わっているとされている。この『趙州狗子』の公案だけでも、完全な正答にたどり着いて無の真理を悟るには最低三年の月日がかかるとされており、ただ『言葉の上だけでの正解』は看話禅の禅宗でも評価される事は無かったようである。

『無門関』を日本に導入したのは無門慧開に師事していた心地覚心(しんじかくしん,1207-1298)であったが、導入前の中国本土や中世期の日本ではほとんど注目されることが無かったとされる。

江戸期に入ってから『無門関』が徳川幕府の仏教統制策(=禅宗の寺院・僧侶の格付けの基準)として重視されるようになり、一定数の公案を解かないと住職になれないルールが作られたり、法臘と共に仏僧の経験・格式を表す基準になったりした。西洋の物質文明(資本主義)やキリスト教と遭遇することになった近代以後は、『無門関』は鈴木大拙の思想などに示される『東洋的な絶対無の境地・知見』の原点として尊重されることになった。

posted by ESDV Words Labo at 04:47 | TrackBack(0) | む:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック