ウェブとブログの検索

カスタム検索





2013年09月03日

[メニンガー・クリニック(Menninger Clinic)とカール・メニンガー]

メニンガー・クリニック(Menninger Clinic)とカール・メニンガー

カール・オーガスタス・メニンガー(Karl Augustus Menninger,1893-1990)はアメリカを代表する精神科医・精神分析家であり、兄のカール・メニンガーと弟のウィリアム・メニンガーの二人が、世界的に有名な総合精神医療施設である『メニンガー・クリニック(Menninger Clinic)』の基礎を確立した。

1925年にカンザス州のトピカに設立されたメニンガー・クリニックは、20世紀半ばまでは『アメリカの精神分析研究,力動的心理学の臨床実践』の中心拠点として機能していた。だが、生物学的精神医学の薬物療法が主流になるにつれて、思想的な精神分析の影響力は低下することになり、メニンガー・クリニックに付属していた『トピカ精神分析研究所(トピカ精神分析協会)』もその歴史的役割を終えたとして閉鎖されてしまった。

1980〜1990年代くらいまでは、日本における一流の精神分析家(分析医)のキャリアとして、メニンガー・クリニック付属のトピカ精神分析研究所に留学する人も多かったのだが、世界的な精神医学界の大きな流れとして精神療法としての精神分析の理論・臨床が以前ほど重要視されなくなってしまった。

メニンガー・クリニックは1919年にメニンガー一族によって設立されたクリニック、サナトリウム、精神医学校から構成される『メニンガー財団(Menninger Foundation)』の活動の一環として設立された総合精神病院であった。財団設立当初のメニンガー・クリニックは小さな診療所の形態からスタートしており、1925年に11床の入院設備を備えたメニンガー・クリニックへと拡充されたのである。

カール・メニンガーの父親は、ドイツ系移民の内科医チャールズ・メニンガーであるが、医師である家族全員が協力する形で、メニンガー財団の活動領域は拡張されていったのである。カール・メニンガーはウォッシュバーン大学とウィスコンシン大学、ハーバード大学の医学部で学んで医師免許を取得しており、精神医学・精神分析に興味を持つようになってからは、学師であるアーネスト・サザードの下で精神医学の勉強と実践に励んでいた。

1942年に『トピカ精神分析研究所』を開設し、1945年には『メニンガー精神医学校』を開校して、メニンガー・クリニックは精神病者の診療だけではなく、精神分析家のトレーニングや教育を行う、世界的な力動的心理学(力動精神医学)の研究・臨床の拠点として大きな発展を遂げることになった。

精神分析療法を主導するメニンガー・クリニックの中心的役割は、1980〜1990年代頃まで続くことになるが、2002年にはベイラー医科大学とメソジスト病院との業務提携を行った。更に、2003年メニンガー・クリニックの立地を半世紀以上あったカンザス州トピカからテキサス州ヒューストンへと移転させており、現在では精神分析の研究・教育・臨床の拠点ではなく、総合的精神医療施設や医療教育機関としての役割のほうが大きくなっている。

カール・メニンガーの主要著作には、自殺心理の生成をフロイトのタナトス(死の本能)の概念を参考にして研究した『己に背くもの(1938)』、治療同盟や固着・退行の病理メカニズムに注目した『精神分析技法論(1958)』、人間の愛情と相互的に作用する憎悪について考えた『愛憎(1942)』など様々なものがあるが、現在ではメニンガーの著作そのものが日本で読まれることは少なく、また絶版の影響ですぐに購入して読める本が殆ど無くなっている。

posted by ESDV Words Labo at 06:30 | TrackBack(0) | め:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。