ジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)と実存主義(existentialism):3
サルトルが定義した『本質に先立つ実存』というのは、世界に対峙する自我がその自我意識を絶えず超越しようとする志向性のことであり、自分で自分の未来を選択し決断していくという意識的存在のことでもある。サルトルは対自的な存在である人間について、『人間とは彼が自ら創りあげるものに他ならない』と定義して、自由な選択に対する責任を引き受けた上で、人間は自分の本質を自分自身で創造することが義務づけられているのだと主張した。
サルトルに言わせれば、『人間は自由に呪われている』のであり、神(宗教)も権力も他人も『自由な人間がどのように生きるべきかの意味・価値』を教えてくれるわけではなく、対自存在としての自分の存在の意味・価値を知るためには政治活動や社会運営、人間関係にアンガージュマン(参加)していかなければならないのである。
しかし人間は自分で選択したわけでなくても、既に自意識が芽生えた時には世界に投企されて投げ出されており、更に状況や他人との関係性に拘束されてしまっている。他人から自分を何者かとして見られることによって、『私の自己同一性』が他律的で持続的なものになってしまう。その意味で他者のまなざしや評価は、私を自分で自分が何者であるかを考えて決める『対自存在』から他人が自分について何者であるかの本質を決めてしまう『即自存在』に変えてしまうのだが、サルトルはこの自意識に対する他者の支配性・影響力について『地獄とは他人である』という格言めいた言葉を残している。
しかし、サルトルは自分の対自存在としての意識が常に他人や状況に支配されきっているわけではないのだといい、その閉塞感や拘束感を打ち破る方策こそが主体的なアンガージュマンだというのである。アンガージュマンとは、現にあるところの確実なものを抵当(gage)に入れ、未だあらぬところの不確実なものに自己を賭ける(gager)ことであり、今ある拘束的な状況から自分を解き放って、自分が主体的に選択して決断した『新たな状況・活動』に自分をコミットさせることなのである。
サルトルは人間の意識はその想像力によって『現にあるもの』を無化していき、『未だ無いもの』を存在させて実現化していくと考え、『想像力に基づく政治・社会への参加(アンガージュマン)』が人類の明るい未来の可能性を切り開いていくとした。人間の未来を『非合理的なもの・不条理な流れ』にただ流されないようにすること、人間の持つ『理性的・合理的・倫理的な意識』によって自分で自分の未来を切り開いて実現していくアンガージュマンをすることがサルトルの実践的哲学の目標にもなっている。
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