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2013年10月12日

[霜田静志(しもだ・せいし)]

霜田静志(しもだ・せいし)

霜田静志(しもだ・せいし,1890-1973)は、美術教育から精神分析に興味を持ったという異色のキャリアを持つ日本の精神分析家である。正統派精神分析のジークムント・フロイトではなく、イギリスの教育学者・教育実践家として著名だったA.S.ニイルから薫陶を受けている。

1890(明治23)年7月9日に埼玉県に生まれた霜田静志は、東京美術師範学校(現在の東京芸術大学)を卒業した後に、教職に就いたのだが体調を崩して暫くの療養生活に入った。西欧美術の最新技法を紹介する教育者として活躍し、マンセルの色彩表やチゼックの美術教育論を初めて日本に導入したのも霜田静志であった。

1921(大正10)年には、進取の気性に富む沢柳政太郎(さわやなぎ・まさたろう)が創設した私立の成城中学校へと就職して、西欧流の新しい美術教育の空気を日本に持ち込み、『大正デモクラシー』の自由な気風を謳歌した。成城中学校では親友のエリック・S・ベルと校長の沢柳政太郎から勧められたこともあって、イギリスの教育家のA・S・ニイルの研究に取り組むようになり、近代初期の規律訓練型・強制型の学校教育に反対する『自由主義教育(自由教育)』に賛同の意思を示した。

大東亜戦争が終わってからの戦後も多摩美術大学の教授を歴任したが、精神分析と自己啓発に強い興味を持つようになった霜田は、『井荻児童研究所』において精神分析の心理臨床(児童臨床)と理論研究にも力を入れていた。霜田静志は『美術教育・(ニイル的な)白由教育・臨床心理学』の三分野で当時際立った功績を残して大衆レベルの啓蒙活動にも貢献している。主要著作には、『児童の精神分析』『ニイルの思想と教育』『叱らぬ教育の実践』などがある。

特に臨床心理学の分野では、子供を対象とする児童分析だけではなく、カウンセリングや性格分析、通信分析(手紙分析)、集団分析(グループセラピー)などで意欲的な研究活動・臨床行為を継続した。霜田が教育活動において最も重要視して大切にしていたことは、『子供の自由と解放』であり、ある意味で自然主義的な教育理論を展開した。多摩美術大学を退職した後にも、著述や講演を積極的にこなしており、霜田の性格や考え方については國分康孝『教師の教師(1983)』にその特徴・生き様が記されている。



posted by ESDV Words Labo at 06:15 | TrackBack(0) | し:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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