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2013年11月25日

[唯識(ゆいしき)と大乗仏教の思想史4:唯識論・諸法空相・唯識無境の相関]

唯識(ゆいしき)と大乗仏教の思想史4:唯識論・諸法空相・唯識無境の相関

唯識とは個人の見ている世界やそこにあるすべての事物は、その個人の表象(イメージ)や認識作用が生み出したものであるという考え方(世界観)であり、世界にはただ八種類の識だけが存在するとするものである。唯識論と空の思想を掛け合わせた概念として『諸法空相(しょほうくうそう)』がある。世界のあらゆる存在や事物は、個人の八種類の識によって生み出されたものであるから、それらは主観的な存在に過ぎず客観的な実在ではない。

世界に存在するものは全て主観的な存在なので永遠不滅の実在にはなり得ない、絶えず生成消滅を繰り返す存在は『空』であるとするのが『諸法空相』の世界観である。世界のあらゆる存在や事物は、人間の五感を中心として認識される『色(物質)』であるが、それらの色(物質)は諸行無常の空であり生成消滅を繰り返すことになる、これを『色即是空(色は即ち空である)』という概念で表現することもある。

このように世界にはただ八種類の識(心の作用)だけがあるという『唯識論』は、大乗仏教の『空の思想・諸行無常・諸法空相・色即是空・諸法無我』などとも分かち難く密接に結びついているのである。

瑜伽行(ヨーガ・瞑想)を基礎に置いた初期の唯識学派は、中観派の『空』の思想を取り入れて、世界のイメージを出現させる『心の作用』の存在を仮定し、その心の作用を瑜伽行でコントロールすることで悟ろうとした。瑜伽行の唯識学派は、ただ識だけがあって境(外界)は存在しないとする『唯識無境(ゆいしきむきょう)』を唱えたが、ここでいう識は『心の作用・認識主体』、境は『外的な対象・外界』という意味である。

『唯識論』をこの世界の存在や事物がただ心の作用及び表象のみで成り立っていると考えると、西洋哲学の『唯心論・観念論』と同じ理論だと誤解されやすい。

だが、唯識論では人間の心の作用(認識)も表象(イメージ)も仮定された仮りそめのものに過ぎず、最終的にはその心の作用や実在さえも『境識倶泯(きょうしきくみん)』で全否定され確かな存在や作用は何ひとつないという事になってしまうのである。更に、唯識論には『末那識(まなしき)・阿頼耶識(あらやしき)』といった、西洋哲学の意識レベルの唯心論にはない『無意識領域の心の働き・無意識にある万物の生成消滅の根拠』が仮定されているという大きな違いもある。

瑜伽行の唯識学派の説いた『唯識無境』は、外的な対象のないところで心の認識作用を働かせることで、主体と客体を区別しない『無分別智』に到達するだけではなく、自我の実在そのものが無であるという『諸法無我』の主体性のあり方を示唆しているのである。唯識論は、外界の事物や出来事を心の作用によって変化させられるという『唯識所変の境』についても言及するが、この心の認識を変えることによって外的な物事を変えるという発想は臨床心理学の『認知行動療法』にもつながる考え方である。

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posted by ESDV Words Labo at 14:07 | TrackBack(0) | ゆ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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