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2014年01月14日

[アーネスト・ジョーンズ(Ernest Alfred Jones)]

アーネスト・ジョーンズ(Ernest Alfred Jones)

イギリスの精神分析家のアーネスト・ジョーンズ(Ernest Alfred Jones,1879-1958)は、ロンドン大学医学部を卒業して神経科医になった後に、S.フロイトと知り合って師事することになった人物である。精神分析を創始したジークムント・フロイトは、肛門期性格に近い強迫神経症的な傾向や融通の効かない頑固さ、反対意見を受け容れない自己主張の強さがあったと言われており、次々に自分の弟子たちと理論的・人間的な対立を繰り返して訣別していった。

権威主義的で頑固なS.フロイトと対立して離れた著名な高弟としては、一時期、フロイトの後継者の最有力者と目されていたカール・グスタフ・ユングがいる。C.G.ユングはフロイトの正統派精神分析から離脱して、汎性欲説やリビドー発達論を否定する独自の『分析心理学(ユング心理学)』を確立したことでも知られる。

C.G.ユング以外にも、『個人心理学(後のアドラー心理学)』を構築したアルフレッド・アドラーや出産外傷説による神経症の発症を訴えたオットー・ランクらが、S.フロイトとの間で理論的・性格的な衝突を起こして訣別している。

C.G.ユングをはじめとする精神分析の中核を支えた高弟たちが、次々と正統派精神分析から離脱していく中で、アーネスト・ジョーンズは最後までフロイトの門弟として師事していた人物であり、国際精神分析学会において『教育分析』を制度化するという貢献をしたりした。ジョーンズ自身は、先輩に当たるサンドラ・フェレンツィから精神分析の教育を受けたが、フェレンツィもまた後年には理論的な不一致を理由としてフロイトの元を去ってしまっているのである。

ジョーンズは、ユダヤ人であるS.フロイトがナチスドイツのホロコーストの脅威に晒されようとしていた時にも、イギリスへの亡命を率先して手助けしており、英国独立学派(対象関係論)のメラニー・クラインを、1926年にいち早くイギリスに招聘したのもジョーンズであった。

後年は絶えず精神分析とその運動・組織の中心に居続けたジョーンズであるが、1906年にはクライアントへの性的逸脱行為(セクシャル・ハラスメント)の疑惑を掛けられてしまい、英国での精神分析療法の開業・仕事に支障が生じてしまった。その結果、1909〜1912年にかけて、ジョーンズはカナダで精神分析家としての臨床活動を行っていた。

国際精神分析学会会長の地位にあった1920年に、E.ジョーンズの発案・主導によって“International Journal of Psychoanalysis”という学会誌が創刊されている。アーネスト・ジョーンズはフロイトの晩年以降は精神分析の重鎮としての地位を磐石なものとしており、国際精神分析学会の会長の座を退いた後にも、終身名誉会長として隠然とした影響力を保持していた。E.ジョーンズの最大の功績とされるのは、アメリカとイギリスの英語圏において精神分析の臨床・理論・世界観を広めて定着させたことであり、20世紀半ばの『精神分析の黄金時代』の主要な担い手の一人でもあった。

忠実なフロイト信奉者であり、正統派精神分析(自我心理学)の支持者でもあったE.ジョーンズは、S.フロイトの側近として働いていた自らの記憶と体験を活かして、1953年から1957年にかけて、全3巻となる『ジークムント・フロイトの評伝・伝記』を書き上げている。このフロイトの伝記は、フロイトが最も可愛がっていた末娘のアンナ・フロイトに捧げられているが、このアンナ・フロイト自身も自我防衛機制の機能別の分類に貢献した精神分析家である。アーネスト・ジョーンズが書いたフロイトの伝記は、 竹友安彦と藤井治彦の翻訳で『フロイトの生涯(紀伊国屋書店)』として日本でも出版されている。



posted by ESDV Words Labo at 22:55 | TrackBack(0) | し:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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