ジョン・デューイ(John Dewey)1:ジョン・デューイの略歴と経験主義
ジョン・デューイ(John Dewey, 1859-1952)は、プラグマティズム(実用主義)の思想家に分類されるアメリカの哲学者・教育哲学者で、20世紀前半以降の実際的で民主的な『経験主義教育』を推進した。ジョン・デューイは、チャールズ・サンダース・パースやウィリアム・ジェームズと並んで称されるプラグマティズムの哲学者であり、20世紀の社会生活と学校教育を実際的な問題解決の方法論に結びつけようとする『新教育運動』の理論的支柱となり、進歩的な民主主義者として政治的な発言も行った。
ジョン・デューイは1859年に、アメリカバーモント州バーリントンの食料品店に、父アーチボルトと母ルシナの三男として生まれた。デューイ家はイギリスから移住してきた開拓民の末裔の家柄で裕福ではなかったが、ジョンは才気煥発で成績優秀な子供であり自分の学力の高さと勤勉の精神によって、自らの教育者(学校教員・大学教授)・哲学者・思想家としてのキャリアを切り開いていった。
教育活動によって人生や社会が変わるというジョン・デューイの基本的信念は、成育環境(生まれた家庭の経済状況)のハンデキャップを乗り越えて教育者・思想家として評価を高めた『自分自身の経験主義的な成功体験』にも裏打ちされている側面がある。
1874年に若干15歳で、後に経済学・統計学者となる兄デービス・デューイと同じ名門バーモント大学に入学したジョン・デューイだが、バーモント大学でも成績優秀者として評価され“The Phi Beta Kappa Society”というエリートの結社団体に入会を許された。当時の大学では、キリスト教的な創造説を否定するチャールズ・ダーウィンの進化論やオーギュスト・コントの実証主義哲学(科学的な社会学)などが持て囃されていて、ジョン・デューイもそういった『経験主義に基づく科学主義思考・科学的世界観』に大きな影響を受けることになった。
バーモント大学卒業後に、いったんはペンシルベニア州で高校教師を2年間務めたのだが、高校教師としての自分の適性に限界を感じたデューイは、バーモント州の小学校に1年くらい勤務して、1882年にはジョンズ・ホプキンズ大学大学院に入学した。ジョンズ・ホプキンズ大学では、当時のアメリカ心理学会の重鎮であった心理学者スタンレー・ホールに師事して心理学を学び、未出版である『カントの心理学』という博士論文で博士号を取得している。
ジョン・デューイは1884年からミシガン大学に講師として2年間勤務して助教授へと昇進し、1889年には30歳の若さで教授の地位に就いていることからもその研究者・学者としての優秀ぶりが伺われる。ミシガン大学で教授として働いていた頃のジョン・デューイは『精神現象学のヘーゲル哲学』の強い影響を受けていた。
だが、プラグマティズムの心理学者ウィリアム・ジェイムズから教えを受けた社会学者のジョージ・ハーバート・ミードと友人になったことで、ヘーゲル哲学の観念論から離脱して、『プラグマティズム(実用主義)』の経験主義的な考え方へと思想が変化することになる。