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2014年04月20日

[ジョン・デューイ(John Dewey)2:ジョン・デューイの機能主義心理学と分野横断的な著述]

ジョン・デューイ(John Dewey)2:ジョン・デューイの機能主義心理学と分野横断的な著述

1894年には、新設されたばかりのシカゴ大学にジョン・ハーバート・ミードと共に哲学科の主任教授として招聘されるが、シカゴ大学では“Thought and its Subject-Matter”“Studies in Logical Theory (1903)”といった経験に基づく知識の確立に関する論文を発表して、『プラグマティズム(実用主義)・経験主義・機能主義心理学』の思想家・学者として認知されることになった。哲学者リチャード・ローティは、ジョン・デューイについて『我々を観念主義的なプラトンとカントの呪縛(ドグマ)から解放した経験主義の哲学者』として高く評価している。

ジョン・デューイ(John Dewey)1:ジョン・デューイの略歴と経験主義

機能主義心理学の心理学者としてのジョン・デューイは、1896年に実験心理学・行動主義心理学にもつながる“The Reflex Arc Concept in Psychology(心理学における反射弓の概念)”という論文を発表している。1896年1月には、後のシカゴ大学附属実験学校やデューイスクールになる『実験学校(Laboratory School)』を創設している。

この実験学校で行われた各種の心理学・教育学の実験とその成果について講演した内容をまとめて出版されたのが、教育理論・教育学の古典的名著とされる『学校と社会(1899年)』である。1903年には、デューイはアメリカ心理学会会長にも選出されており、心理学会においても中心的地位を占めるようになっていた。ジョン・デューイのウィリアム・ジェイムズの『心理学原理』の影響を受けた機能主義心理学のグループは、『シカゴ学派』とも呼ばれた。

1904年からニューヨークのコロンビア大学で哲学教授となったジョン・デューイは、コロンビア大学に50年近く在籍して教育学者・哲学者・心理学者として活発な研究を行い精力的に各分野の著作を残した。1905年にはアメリカ哲学学会会長に就任し、歴史家のチャールズ・ビアードや経済学者のソースティン・ヴェブレンたちと協力して、『ニュースクール(ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ)』という社会学研究や社会調査のための専門機関となることを目指した学校を創立している。

哲学者・教育学者・思想家として歴史的な功績を残したジョン・デューイだが、後年には『民主主義と教育(1916年)』『公衆とその問題(1927年)』『個人主義(1931年)』『自由主義と社会的行動(1935年)』『自由と文化(1939年)』といった政治と教育、民主主義、自由主義(個人主義)、ファシズムなどの相互的な相関関係を考察するような著作を書いている。自由主義・資本主義と共産主義の対立が強まるのは第二次世界大戦後であり、デューイの時代にはまだアメリカとソ連の対立は決定的なものでなかったため、デューイのプラグマティックな教育理論に関心を示していたソビエト連邦にも1928年に渡って講義している。

1919年から1921年にかけては日本と中国を訪れており、1919年2月9日に来日したジョン・デューイは、友人の新渡戸稲造が学長をしていた東京女子大学の宿泊施設に滞在したという。1919年2月25日から3月21日にかけて、東京帝国大学で8回に及ぶ連続講演を『現在の哲学の位置一哲学改造の諸問題(The Position of Philosophy at the Present:Problems of Philosophic Reconstruction)』というテーマで行っており、その講演内容は『哲学の改造(岩波書店)』として出版もされている。

日本で最初の心理学者の一人である元良勇次郎(もとらゆうじろう)は、ジョンズ・ホプキンズ大学に留学した時にはジョン・デューイの機能主義心理学の講座を受講していた。

posted by ESDV Words Labo at 06:45 | TrackBack(0) | て:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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