エミール・デュルケーム(Emile Durkheim)の『自殺論』の四類型と道徳性の要素
E.デュルケームは、近代化によるアノミー状態(無規範状態)の促進で『個人の孤立化・無気力化・方向感覚の喪失(自己アイデンティティ拡散)』といった精神的危機(自殺リスク)が高まる恐れがあるという警鐘を鳴らしたが、その精神的危機を克服する方策の一つが『社会集団に共有される道徳的秩序(規範意識)の再建』であった。
デュルケームは『道徳教育論』において、道徳性の三要素として『規律の精神・社会集団への愛着(帰属感)・意志の自律性』を上げている。
E.デュルケームは19世紀後半のヨーロッパにおける『自殺率の上昇』を受けて、『自殺という社会的事実』を社会学研究の対象に据えた。自殺を生み出す社会的要因(社会的事実)に着目したデュルケームは、各社会で起こる自殺を実証的かつ客観的に分析する研究を進めて、自殺を以下の4つの類型に分類している。
1.利他的自殺(集団本位的自殺)……社会集団の価値規範や常識・慣習に絶対的な強制・服従を求められる社会、あるいは、社会集団の価値規範や常識を無条件かつ自発的に受け容れる圧倒的多数の個人で構成される社会で発生しやすい自殺類型。
自分自身の欲求や主張、価値観を通すことができない抑圧的な社会や職業集団(軍隊など)で起こるタイプの自殺で、『(大多数の人が当たり前のように適応している)社会集団に上手く適応できない個人』が自責感や自己否定感を感じて自殺する。また、『過剰適応して集団と一体化した個人』が国や組織と運命を共にして殉死(自害)したり自己犠牲を払ったりする。
2.利己的自殺(自己本位的自殺)……社会集団の価値規範や常識・慣習の強制力が弱まってきて、社会に対する帰属感(仲間との連帯感)を感じにくくなった社会集団で発生しやすい自殺類型。個人が社会集団や他者との結びつきを感じにくくなった結果、『孤独感・無力感・焦燥感』などを感じて自殺してしまう人が増える。
ヨーロッパでは集団で集まって信仰生活を共有する機会が多いカトリックよりも、個人単位で聖書を通して神と向き合おうとするプロテスタントのほうが自殺率が高いと思われていた(その後の統計的研究で宗派による自殺率の違いは否定されたが)。大家族で生活する人よりも核家族で生活する人のほうが自殺率が高く、既婚者よりも独身者(老後の単身生活者)のほうが自殺しやすいなど、『個人が孤立しやすい社会環境』が自殺リスクを高めるというもの。
3.アノミー的自殺……社会集団で共有される規範・規制・義務が減っていて、自由な個人がバラバラに自己責任で生活しているような社会で発生しやすい自殺類型。アノミー (anomie) は社会秩序が乱れて価値観が混乱した状態を指していたギリシア語の『アノモス(anomos)』が語源となっている。
アノミーとは社会集団で共有されていた中心的価値観や規範・規制が衰退した結果、他人とは共有できない個人の自由と欲望ばかりが肥大し、その自由・欲望を満たすこともできず、バラバラの個人が孤立した現実に絶望しやすくなる無規範・無規制状態のことである。
アノミー状態が進んだ後期近代社会では、社会集団の規範・規制によって個人が殆ど束縛されていないので、個人は自由でありどんな欲求を持つことも許されている。だが、現実にはそのありあまる自由を何のために用いれば良いのかが分からない無力感・不全感(方向感覚の喪失)があり、他人と共有できない自分だけの妄想的な欲求が肥大してそれが満たされない苦痛(欲求不満)に絶望して自殺しやすくなる。
4.宿命的自殺……社会集団の規範・規制による拘束力が非常に強いために、個人の欲求・意志が完全に抑圧される社会集団で発生しやすい自殺類型。暴力的な独裁政権に支配されている国家で、思想信条・表現の自由が完全に抑圧された個人が追い詰められて自殺したり、身分差別の価値観が強い封建主義社会で、身分違いの恋愛・結婚が許されずに心中で自殺したり、女性蔑視の宗教規範が強い社会で、婚前交渉やレイプ被害を理不尽に咎められた女性が自殺したりする事例などが想定される。
だが、デュルケーム自身は著作の中で宿命的自殺について詳しく語っていないので不明な点も多い。基本的に『個人では対抗しようのない社会集団(圧倒的多数派)の圧力・常識・強制』が関係している宿命的な自殺のことを指していると考えられる。
エミール・デュルケーム(Emile Durkheim):1
エミール・デュルケーム(Emile Durkheim):2