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2014年05月04日

[フレデリック・テイラー(Frederick Winslow Taylor)と科学的管理法]

フレデリック・テイラー(Frederick Winslow Taylor)と科学的管理法

アメリカの経営学者・エンジニアのフレデリック・ウィンズロー・テイラー (Frederick Winslow Taylor, 1856-1915)は、工場などの生産現場を効率的かつ生産的に稼働させるための科学的管理法を発案したことから『科学的管理法の父』と称される人物である。労働者管理のマネジメントでもある科学的管理法は、『テイラー・システム』と呼ばれることも多い。

フレデリック・テイラーはアメリカのフィラデルフィアで弁護士を営んでいる裕福な家庭に生まれ、自身も弁護士を目指してハーバード大学に進学するが、眼科疾患の悪化で弁護士になる勉学を諦めて、1874年から工場で機械工見習いとして働き始めた。

エンジニア(技師)としての資格を取得したテイラーは、1878年に大手鉄鋼会社のミッドベール・スチールへ作業者として転職し、そこで『テイラー・ショップ・システム(Taylor Shop System)』という科学的管理法の原型となる効率的な工場生産のためのシステム(工作機械の改良・作業時間や作業工程の改善など)を開発した。

当時の工場労働は、単純作業の分業の組み合わせから成り立っていることから、どうしても馴れと飽き、疲れによる『組織的怠業』の問題を克服するのが難しかったが、テイラー・ショップ・システムの効率的生産方法の導入によって労働コストの削減や怠業の減少に成功したのである。このシステム開発の功績によって、テイラーは職長の地位に当たる主席技師にまで昇進しており、ミッドベール・スチール社に在籍している間に200以上もの特許も取得した。

元々、勤勉で有能であったフレデリック・テイラーは、工場労働に従事している間に、200以上の特許を取得しただけではなく、スティーブンス工科大学にも通って工学修士の学位も授与されている。1890年にミッドベール・スチール社を退職してから、複数の会社で工場管理の業務を請け負い、1898年に転職したベスレヘム・スチール社では、工場管理の再編成を実施して労働者の作業や道具などの標準化を実施した。

このストップウォッチを使って工場労働にかかる時間を計算するなど、徹底した作業内容・作業時間の標準化というものが、『科学的管理法(生産計画と労働ノルマ)の基礎』にもなっている。テイラーは経営コンサルタントとして、幾つかの経営不振の企業を合理化によって再建する実績を上げながら、体系的な科学的管理法の研究と実践を積み重ねていき、労働組合をはじめとした『科学的管理法の導入(非ヒューマニスティックな労働者の機械的管理)に反対する勢力』に対して反論を繰り返していた。

労働者の作業を標準化したりシステム的に勤怠管理したりする『科学的管理法(テイラー・システム)』は、現代の経営学、経営管理論や生産管理論の基礎となっているが、工場労働を原型として生産性・効率性を考えているため、『人材の内発的なモチベーション・仕事に対する興味や意欲』を減少させてしまうという弊害も指摘される。テイラーは科学的管理法の基本原理として、『課業管理(成功報酬と不成功や怠慢に対する罰則など)・作業の標準化・作業管理のための組織の最適化』の3つを上げていた。

フレデリック・テイラーの科学的管理法は、企業の生産現場においてマネジメントの近代化をもたらして、それまでいい加減であった労働者の管理について客観的な基準を作ることを推し進めた。企業にとっては『効率性・能率性・生産性の向上(怠業・ミスの削減)』、労働者にとっては『賃金の上昇・適切な労働時間の実現』をもたらそうとするのが科学的管理法であり、科学的管理法の主要な目的は『労使協調体制における生産性(経営改善)と賃金の上昇』にあった。

だが、企業・資本家が優位の経営環境では時に、『労働者を限界まで酷使するシステムや労働条件』として悪用されてしまうリスクもあり、労使協調体制と労働者の生活・健康の保護のためには『科学的管理法+ヒューマニスティックな配慮や交渉』が必要になってくる。

posted by ESDV Words Labo at 17:54 | TrackBack(0) | て:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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