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2014年07月09日

[フレデリック・パールズ(Frederick S. Perls):1]

フレデリック・パールズ(Frederick S. Perls):1

フレデリック・サロモン・パールズ(Frederick S. Perls, 1893-1970)は、ナチスドイツから亡命してオランダ・南アフリカ共和国・アメリカで活躍した精神科医・精神医学者である。ナチスドイツの迫害を避けて、1933年にオランダへ亡命したが、更に1935年に南アフリカのヨハネスブルグに移住して、妻ローラと一緒に精神分析研究所を開業した。

医師になってすぐの時期に精神分析の訓練を受けたが、その後に独自の『ゲシュタルト療法(Gestalt therapy)』の理論的・臨床的な研究を行い始めた。フレデリック・パールズはユダヤ系ドイツ人であるが、略称のフリッツ・パールズを自分で用いることも多かった。ゲシュタルト療法の創設者はフリッツ・パールズとローラ・パールズの夫妻とされている。

1946年の夏には、アメリカのニューヨークに渡ることを決めて、はじめ『ウィリアム・アレンソン・ホワイト精神分析研究所』で精神分析的な臨床活動に従事していたが、この時には既に53歳であった。精神分析的な心理療法を行った後に、全米を回る講演・ワークショップ(デモンストレーション)の仕事をしながら、独自のゲシュタルト療法の理論・技法を啓蒙的に広めたり、後進のセラピストを育成したりした。

1951年に、ゲシュタルト療法の理論的・臨床的な研究成果をまとめた“Gestalt Therapy”を出版して、精神分析よりも精神疾患や心理的問題に対して効果のある『ゲシュタルト療法』を紹介している。

翌1952年に、『ニューヨーク・ゲシュタルト療法研究所』をフリッツとローラのパールズ夫妻が創設して、パールズは『ゲシュタルト療法』という精神療法の学派の名称を正式に使い始めた。1954年、更に『クリーブランド・ゲシュタルト療法研究所』を開設して、アメリカの広範な地域でゲシュタルト療法のワークショップやロールプレイング、臨床活動が行われるようになっていった。

フレデリック・パールズは、若い頃に自分の恋愛の苦悩や葛藤が原因で『神経症』を発症して、その神経症を治療するために当時の精神療法の主流だった『精神分析』を受けた。自分の神経症の回復プロセスを経験したことによって、無意識の心的内容を意識化(言語化)しようとする精神分析の治療効果を実感できたF.パールズは自分も精神分析家を目指すことに決め、『教育分析(精神分析のスーパービジョン)』を受けたのである。

ベルリン大学医学部を卒業したF.パールズは、フランクフルト・アム・マインとウィーンで精神分析の訓練と自分の過去の感情体験を分析する教育分析を受けて、1932年にフロイト派の精神分析家の資格を取得した。精神分析家となったF.パールズだったが、1936年にマリアーンスケー・ラーズニェで開催された国際精神分析学会で尊敬するジークムント・フロイトと対面するも、フロイトの対応は予想以上に冷たいもので落胆させられる。

その国際精神分析学会で、『口愛期抵抗の研究論文』を発表したのだが、そのパールズの論文も評価されなかったため、パールズは妻ローラと共に自分独自の精神療法を開拓する方向へと転換していった。1947年に出版した“Ego, Hunger & Aggression(自我・飢餓および攻撃性)”という精神分析を批判する著作によって、F.パールズは精神分析理論と訣別したとされる。この著作の中で、ゲシュタルト療法の前身となる“Concentration Therapy(集中療法)”を紹介している。



posted by ESDV Words Labo at 10:48 | TrackBack(0) | は:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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