マイケル・バリント(Michael Balint)
ハンガリー生まれのイギリスの精神分析家・精神科医のマイケル・バリント(Michael Balint,1896-1970)は、発達早期の母子関係と精神疾患の相関の研究や発達早期のトラウマ(基底欠損と呼んだ愛情剥奪)に対する治療論などで知られている。精神分析を用いて精神疾患(神経症)の患者を治療しただけではなく、精神科医(開業医)向きの治療法の指導やワークショップ的な研修活動などにも注力した。
1920年にブダペスト大学医学部を卒業して、精神科医としてベルリンで勤務してから、S.フロイトの直弟子であるフェレンツィ・シャーンドルに師事して教育分析を受けている。ロンドン移住後、後年のマイケル・バリントは『薬ではなく医者という薬によって患者は治る』という新しい医療のコンセプトを提示して、その医療を『全人的医療(ホリスティック医療, Whole person medicine)』と名づけた。
M.バリントの精神分析理論における『基底欠損』とは、早期発達過程の母子関係において愛情や保護を受けられなかったために発生する心的構造の欠損であり、従来の精神分析療法の対象外とされていたものである。基底欠損を持っている人は、神経症を発症するリスクが有意に高くなるだけでなく、退行の防衛機制によって幼児的な言動が見られたり、成人レベルの言語的コミュニケーションが不可能になったりする。
M.バリントは基底欠損を原因とする神経症症状を、『原始的二者関係(幼児退行による母子関係の反復)』として解釈しており、基底欠損のあるクライエント(患者)を治療するには母親役割を代替するような共感的・支持的な対応が必要になってくるとした。
バリントの原始的二者関係における退行的な感情は、日本の土居健郎(どいたけお)が提起した『甘え』の感情と類似したものであり、特定の親密で保護的な対象に依存して甘えようとする傾向(主体性・責任感を失いやすい傾向)を持っている。
基底欠損と関連した精神病理学の概念として、対象関係に執着してしがみつく“オクノフィリア”、緊張感とスリル(刺激)を求めて危険な衝動的行為に駆り立てられる“フィロバット(フィロバティスム)”を提起した。
フェレンツィに精神分析を学んだM.バリントは、ロンドンの精神療法センターで精神分析療法の治療に従事していたが、その後にホリスティックな全人的医療へと関心を移して自分のクリニックを開業し、ロンドンの開業医10数名を集めて全人的医療の開拓・普及を目指す『バリント・グループ』を結成した。
マイケル・バリントが構想した全人的医療は『バリント療法』とも呼ばれるが、心理社会的要因が絡む心身症・神経症などを主な対象としたバリント療法の特徴は、ヒューマニスティック心理学やその精神療法であるクライエント中心療法に似たものである。
バリント療法ではクライエント(患者)と全人的な交流と理解を深めるために、『医師(治療者)-患者関係の構築』が重要視されるが、これはカール・ロジャーズのいう『ラポール(相互的な信頼感)の構築』とほぼ同義であり、バリントは共感的な理解・支持・保証といったカウンセリング的な技法やカウンセラーの基本的態度も採用していた。