フリードリヒ・フレーベル(Friedrich Willhelm August Frobel):2
ロマン主義者であったフレーベルは、子供の本質を『神的なもの・神性が宿ったもの(神性が開花する可能性を持ったもの)』と定義して、その子供の神的な本質を伸長させて開花させるための『受動的・追随的・保持的な教育』を理想的な幼児教育として提唱した。
フリードリヒ・フレーベル(Friedrich Willhelm August Frobel):1
花を飼育する庭師が、『植物の本性』に従って日照・温度に気をつけながら、水・肥料を与えて剪定するように、子供を教育する園長・教育者も『子供の本性』に従って、その子供の神的な本性・内面が順調に開花・展開していくように援助しなければならないのだとした。こういった教育思想の連想から、『Kindergarten(幼稚園=子供達の庭)』という幼児教育機関の一般名称が生まれたのである。
フレーベルの幼児教育は、不断の創造者である神を前提として『不断に創造・成長を続ける子供』を支持・助成しようとする宗教性を帯びたものだったが、無理矢理に知識・技術・善悪などを詰め込んで教えるような『早期教育・英才教育・スパルタ教育』に対しては反対の姿勢を示していたという。
幼稚園の教育内容の中心は『勉強・訓練の知識教育』ではなく『遊び・作業の情操教育』であるべきというのがフレーベルの教育理念であり、フレーベルは『恩物(Gabe)』をはじめとする様々な遊具を開発したり、幼稚園に『園庭・花壇・畑』を設置したりした。恩物というのは『遊びながら学べる教育玩具(積み木・棒・粘土・石・金属などで物事の形態や本質、使い方などを学ぶもの)』であり、1838年に考案されて第1恩物から第20恩物までの20種類がある。
1837年に、フレーベルはドイツのブランケンブルクに『一般ドイツ幼稚園』を開設して幼稚園の教員養成を行ったが、これが世界初の幼稚園であるとされる。厳密には、『幼稚園という名前を持つ幼児教育機関』を初めて作ったのはフレーベルであるが、『幼児教育を行う幼児学校』を世界で初めて作ったのは1820年代のイギリスの教育者ロバート・オウエンである。
1837年の段階では『幼稚園(Kindergarten, Kindergarden)』という名称は使われておらず、『自己教授と自己教育とに導く直観教授の学園』というペスタロッチの教育思想に影響を受けたやや冗長な名前が用いられていたという。1840年になって、『幼稚園(Kindergarten, Kindergarden)』という名称に変更されている。
フレーベルが一般ドイツ幼稚園を設立してから、プロイセン全土に幼稚園という名前を持つ幼児教育機関が拡大していった。しかし、ルター派のプロテスタントであるフレーベルは『反カトリック(教会権威の否定)・無神論者・社会主義者』などの疑いを一方的に掛けられて、プロイセン政府から『幼児を無神論・社会主義に導く教育をする恐れがある』ということで幼稚園運営の禁止命令を出されてしまった。この政府の冷たい対応には、甥のユリウス・フレーベルが1848年に反政府的(反王政的)な革命に参加していたことも影響していたと言われる。
F.W.A.フレーベルの幼児教育の思想の特徴は、『遊び・手作業(畑仕事など労作)・遊具・園庭』などを重要視して、知識教育よりも『幼児の人間性・情操の発達(彼のいう神性の開発)』に力を入れたことである。教師は『何かを教える役割』ではなく『優れた本性を引き出して伸ばしてあげる役割』が期待されており、その部分において受動的・支持的な教育理念であったと言える。
フレーベルの代表的な著書には、『フレーベル自伝』『人の教育』『幼稚園教育学』などがあるが、日本では玉川大学出版部から『フレーベル全集 全5巻』が出版されている。フレーベルに傾倒して熱心な翻訳・紹介をした日本人研究者には、荘司雅子、小笠原道雄がいる。