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2014年08月17日

[フリーダ・フロム=ライヒマン(Frieda Fromm-Reichmann)]

フリーダ・フロム=ライヒマン(Frieda Fromm-Reichmann)

フリーダ・フロム=ライヒマン(Frieda Fromm-Reichmann,1889-1957)は、ドイツのカールスルーエでユダヤ人銀行家の家に生まれ、アメリカに亡命した女性の精神科医・精神分析家(フロイト派)である。社会派の精神分析学者・フロイト左派として知られるエーリッヒ・フロムの妻であったが後に離婚している。だが、離婚後も友人・学友として、エーリッヒ・フロムとの親密な人間関係が維持されていたという。

大学では医学を専攻して医師免許を取得した。第一次世界大戦では心身医学・脳神経医学の臨床をしていたカート・ゴールドシュタイン(Kurt Goldstein)を補佐して、脳損傷を受けた兵士の治療をする中で、戦争のトラウマで精神が崩壊して通常の適応ができなくなってしまう『カタストロフィー反応』の存在を知った。

フリーダ・フロム=ライヒマンは戦争の終結後、『自律訓練法(autogenic training:AT)』を考案して心身医学の臨床研究に注力していたJ.H.シュル(J.H.Shultz, 1884-1970)の元で、心理的原因が関係した疾患の医療を行っていた。その後、ジークムント・フロイトの精神分析の著作を読んで、自由連想や夢分析、リビドー発達と性格形成などの理論・技法に感銘を受け、女性精神分析家へと転身することになった。

精神分析家になったフリーダ・フロム=ライヒマンは、エーリッヒ・フロム(E.Fromm)と協力して『南西ドイツ精神分析研究所』を設立した。フリーダはE.フロムと同じく、社会学的要因を重視する『社会派の精神分析家』であり、S.フロイトの生物学主義(科学原理主義)に反発して『社会的・文化的な諸要因+個別の社会的性格の傾向性』が精神疾患(神経症)の発症に深く関わっていると主張した。

1935年にナチスドイツのユダヤ人迫害を逃れるため、アメリカに亡命したが、その後、『チェスナット・ロッジ』という精神医療施設(精神分析療法の臨床施設)で約22年間にわたって統合失調症の治療に従事した。

フリーダ・フロム=ライヒマンの精神分析は自分ならではの人間性や感受性、状況判断力に依拠した部分が多いため、フリーダという個人(女性)の特徴がなければ上手くいきにくい『アート的な精神分析療法』とも言われる。フリーダの臨床的なスタイルは、チェスナット・ロッジで友好を深めたH.S.サリヴァン(H.S.Sullivan)と共に『対人関係・逆転移への共感性』を重視する精神分析のスタイルであった。

フリーダ・フロム=ライヒマンは重症の統合失調症患者に対しても、わずかに残されている言葉の意味や理性・感情の余韻を感じ取ろうとし、逆転移や頻出するキーワードを元にして『患者との対話の可能性・対人的接触の希望』を模索した誠実な精神分析家であった。

しかし、統合失調症の臨床研究においては、『発達早期の母子関係の異常・冷淡さ』が発症の主要な原因であるという母親の育児を否定するような仮説を提起してしまい、『分裂病を作る母(Schizophrenogenic mother)』という科学的・精神医学的に間違った観念を広めてしまったという過ちもあった。

フリーダ・フロム=ライヒマンの精神分析療法について読める邦訳書としては、『積極的心理療法 その理論と技法(誠信書房)』くらいしかないが、アメリカの精神分析の歴史において『精神病者とのコミュニケーション(精神病者の内面世界の理解と共感)の可能性』を信じてその可能性を高めた功績は大きなものがあった。



posted by ESDV Words Labo at 06:13 | TrackBack(0) | ら:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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