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2014年08月27日

レオポルド・べラック(Leopold Bellak)の『ヤマアラシのジレンマ』

レオポルド・べラック(Leopold Bellak)の『ヤマアラシのジレンマ』

オーストリアのウィーンに生まれた精神科医・精神分析家のレオポルド・べラック(Leopold Bellak,1916-2002)は、精神分析の創始者であるジークムント・フロイトやその家族と親密な交流を持っていた。

しかし、1933年にアドルフ・ヒトラーが率いるナチスドイツが政権を掌握してユダヤ人を弾圧し始めたため、レオポルド・べラックはアメリカに亡命してそこで精神科医(精神分析家)として働くことになった。

L.べラックの代表作は『山アラシのジレンマ−人間的過疎をどう生きるか−(The Porcupine Dilemma, Reflections on the Human Condition,1970)』であるが、日本では1974年1月に、精神分析学やフロイトの理論の紹介者として知られる小此木啓吾(おこのぎけいご,1930-2003)が翻訳して『ダイヤモンド現代選書』で出版している。

山アラシ(ヤマアラシ)のジレンマ(Porcupine Dilemma)は、日本では『ハリネズミのジレンマ(Hedgehog's Dilemma)』と呼ばれることも多い。べラックの著書に『人間的過疎をどう生きるか』とあるように、ヤマアラシのジレンマは『人間関係の適度な距離感に関するジレンマ(板挟みの葛藤)』のことである。

愛し合う雄と雌の二匹のヤマアラシは、全身にトゲ(棘)が生えているために、近づいて抱きしめ合おうとするとお互いのトゲが刺さって痛い思いをしてしまいます。しかし、距離を開けて離れていると、また寂しくなってお互いに近づき、トゲが刺さって痛い目に遭ってしまうのです。二匹のヤマアラシは近づいたり離れたりを繰り返しながら、何とかお互いのトゲが刺さらないような『適度な距離感(近すぎず離れすぎずの心地よい距離感)』を見つけ出すことに成功したのでした。

ヤマアラシのジレンマのベースには、こういった二匹のジレンマが登場する寓話があるが、これは現代人の人間関係に一般的に見られる種類の葛藤を象徴したものでもある。すなわち、『個人の自立・自由・私的領域(プライベート領域)』と『相手との親密な付き合い・相手との密接な一体感』が両立しづらいということに基づくジレンマ(葛藤)である。

現代人にとってちょうど良いと感じる他者との距離感は『疎遠なもの』になりがちだが、あまりに他者から近寄られすぎると『自分の自立・自由・プライバシー』が脅かされているような不安感・窮屈さを感じてしまうのである。この二匹のヤマアラシが出てくる寓話・童話は、ドイツのニヒリズムや実存主義の哲学者であるアルトゥール・ショーペンハウアーが考案したものとも言われている。

ヤマアラシのジレンマは、他者と親密な人間関係を築けないというネガティブな意味合いで使われることもあるが、お互いにとって居心地の良い適度な距離感を模索していくというポジティブな意味合いを持つこともある。

L.べラック本人は、お互いにもっと親密に付き合いたいと思っているのに、相手との距離感が近づけば近づくほど、相互のエゴイスティックな欲求・期待がぶつかりあってしまうといった意味で使っている。ヤマアラシのジレンマは主に『親子・夫婦・恋人・きょうだい・親友』などとの間で起こりやすいものである。

動物のヤマアラシはトゲのない頭部を寄せ合うことで、体温を保って寒さから身を守ったり、周囲を警戒して睡眠を取ったりしているようである。精神分析の始祖であるジークムント・フロイトは、愛と憎しみが交錯するアンビバレントな人間関係を説明するためにヤマアラシのジレンマを応用している。ヤマアラシのジレンマに対する人の心理的反応には、『萎縮・しがみつき・見切り』が見られるという。

L.べラックは、子供は動物が好きであることが多いということに注目して、動物を主人公にした投影法の心理検査である幼児用の絵画統覚検査(CAT)を開発したりもした。べラックは精神分析の自由連想法を応用して、『診断的な心理検査』だけではなく、心理テストを受けることが自己の内省・気づき(問題解決のきっかけ)につながるような『治療的な心理検査』を行おうとしていた。



posted by ESDV Words Labo at 02:28 | TrackBack(0) | へ:心理学キーワード | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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